留萌の概要
留萌の位置と交通
留萌は北海道北部の西海岸・通称「オロロンライン」の中ほどに位置しており、石狩と稚内の間にある街のなかでは最大の街となっている。
JR留萌本線が2023年に廃止されたばかりだが、2020年に高速道路・深川留萌自動車道が全面開通しており、2024年現在は通行も無料で、交通の便への影響は最小限に抑えられたかたちだ。
掘込式の大きな留萌港があり、歴史的に見ても港としての役割が大きい。
ルルモッペと山丹貿易
留萌の歴史を少し振り返ってみよう。江戸時代中期、このあたりに「ルルモッペ場所」が置かれている。その領域は現在の留萌市と小平町におおむね等しい。
ここルルモッペのアイヌはソウヤ勢力の圏内だった。浜頓別にチョウケンという宗谷地方を束ねる大酋長がいて、ルルモッペの酋長コタンピルはその孫にあたる。チョウケンは樺太やアムール川流域との貿易、いわゆる山丹貿易を行っていた人物で、山丹服を着、非常に多くの宝物を持っていた。ルルモッペのコタンピルも山丹服を着用していたという。
また、平安時代末期の兜や甲冑なども見つかっている。これもおそらく酋長一族の宝物で、アイヌは和人の兜などを権力の象徴として保有していた。北方のものと南方のものを両方持っていたということは、チョウケン一族はそれだけの貿易力があったということだろう。
一方、隣のマシケはイシカリ勢力に含まれていたようなので、留萌と増毛の境界は、ソウヤ勢力とイシカリ勢力の境界ともなっていたのかもしれない。シャクシャインの戦いの際、宗谷勢力は蜂起には参加せず、石狩や余市・岩内などの西蝦夷勢力に対して、松前との和睦を勧めている。漁業だけが命綱であった西蝦夷のアイヌたちと違い、宗谷勢力は山丹貿易という強みがあったので、今後も松前藩とうまくやっていくという道を選んだようだ。
既存の地名解
波の静かな所
留萌の原名は「ルルモッペ」で、留萌と書いてルルモッペと読ませることもあったという。その地名解には定説がある。
市名の由来
アイヌ語のルルモッペが語源。
留萌市の概要/留萌市公式ホームページ
ルルは(汐)モは(静)ヲッは(ある)ペは(水)のこと。
「汐が奥深く入る川」という意味で、留萌市を流れる留萌川から名づけられている。
川の名の由来
昔はルルモッペと呼び、語源はアイヌ語であると言われています。その意味については諸説ありますが、古い記録には「潮の静かに入るところ」という意味が書かれています。
留萌川河川標識
- rur-mo-ot-pe〈潮が静かに入る所〉
というのが定説のようだ。「古い記録には」とあるように、この説がはじめに唱えられたのは1824年の上原熊次郎による『蝦夷地名考并里程記』で、以来、概ねこの説が取られている。
ルヽモツペ
夷語ルヽモヲツペの略語なり。則、潮の静に入る所と訳す。扨、ルヽとは潮の事。モは静と申事。ヲツは入る。ペは所と申事にて、満汐之節、此川へ潮の入る故。此名あるといふ。
『蝦夷地名考并里程記』/上原熊次郎
道内各地にモンベツ(紋別・門別)という地名があちこちにある。mo-pet〈静かな川〉の意味で、波が強い時に海水が逆流していくような川をいう。市街地の奥の方に潮静という地区があるが、大潮の時はそのあたりまで潮が入っていくのだという。
ただ rur-mo-ot-pe〈潮が静かに入る所〉という形は、類例を見ない形である。文法的に誤っているわけではないが、この mo は pe ではなく rur に掛かっているので、〈波が静か・~な所につく川〉くらいの訳になるのではないだろうか。そうなると意味は逆転してしまう。
ルルパモイ
さて色々調べていると、ルルパモイという別の説が出てきた。『北海道駅名の起源』にはこのようにある。
この地は古く「ルル・パ」(海・のかみて)といったらしい節がある。留萌はおそらく「ルルパ」の「モイ」(湾)だったのではなかろうか。普通に留萌の語源とされている「ルルモッペ」はこの湾に注ぐ川の名で、語源は「ルルモイ・ペッ」あるいは「ルルプンペッ」(ルルパの川)の転訛と思われる。
留萌の語源について「ルル・モ・ペッ」(潮静川)から転じたという説があるが肯けない。
『北海道駅名の起源』
- rur-pa-moy〈海のかみての湾〉
- rur-moy-pet〈海の湾の川〉
- rur-pa-un-pet〈海のかみてにある川〉
このルルパモイ説を唱えたのは、おそらく駅名の起源の執筆者のひとりである知里真志保氏ではないかと思う。しかし3つも説を挙げている割には、どうにも歯切れが悪い。ともかく rur-mo-ot-pe〈潮が静かに入る所〉 説に疑問を抱いていることは確かなようである。
しかし旧記類に「ルルパ」「ルルモイペッ」といった表記は現れておらず、この説に妥当性があるとは言い難い。もう少し考えてみよう。
検証と新説
旧記類に出てくる表記
留萌の地名は元禄期に初めて出てくるが、元禄郷帳に「つるをつへ」、享保十二年所附に「つつもつへ」、附図に「ヌルモンヘ」とあるほかは、以降はほとんどの記述が「ルルモツペ」「ルルモツヘ」で共通している。
しかしもう一つ異表記を発見した。それは天保年間の今井測量原図に「ルンヌモンベツ」とある。今井八九郎は初めて北海道一周を船で詳細に測量した人物で、その地名の位置は非常に正確で細かい。同図には「ルヽモツヘ運上屋」という記述もあり、ルンヌモンベツという表記がただの誤字ではないことがわかる。こちらルルモッペの原名だというのだろう。
この今井図は松浦武四郎も『廻浦日記』のなかで引用している。この「ルンヌモンベツ」という表記を見過ごすことができない。
ルンヌモンベツ
もし従来の説である rur-mo-ot-pe〈潮が静かに入る所〉であれば、ルンヌモンベツと転訛することはないはずだ。 pe を pet と見て rur-mo-ot-pet〈潮が静かに入る川〉としても意味はさほど変わらない。それにしてもこの「ルンヌ」が気になる所である。
松浦武四郎は「ルン」を ru-un〈道がある〉と解釈して ru-un-mo-pet〈道がある小川〉と解釈したようだが、これでは逆に「ルンヌモンベツ」にはなっても「ルルモッペ」にはならない。
圧倒的に多数派である「ルルモツペ」と、今井図の「ルンヌモンベツ」の双方を満たしうる原形を見つけることができないだろうか?実はルルモツペ説を検証している時に温めていた一つの案が、偶然にもぴったりと当てはまったのである。
- rur-rum-ot-pet〈海岬につく川〉
これがルルモッペの原形ではないだろうか。
アイヌ語の音韻転訛のルールの一つに「r は r の前に来れば n になる」(『アイヌ語入門』p171)という法則がある。この[r+r → nr]のルールのを適用すると、 rur-rum–ot-pet は runrumoppet になる。「ルンルモッペッ」と「ルンヌモンベツ」これは十分転訛として許容できる範囲だ。r の音韻転訛は必ずしも起きるわけではないので、そのまま「ルルモッペッ」とも発音できる。
この rur-rum-ot-pet〈海岬につく川〉説なら「ルルモッペ」「ルンヌモンベツ」の双方のかたちに変化することができるのだ。
黄金岬
さてこの rur-rum すなわち〈海岬〉とはなんのことだろう。もちろん「黄金岬」のことである。
rur, -i るㇽ 海;海水
rum るㇺ ①頭。ay・rum[矢・頭]やじり。 ②みさき。chi・nukan・rum[見える・崎]
『地名アイヌ語小辞典』知里真志保
辞書にはこのようにあり、rum は〈岬〉を表すことがあるようだ。北海道でもっとも有名な rum といえば、何と言っても「襟裳岬:en-rum〈尖った岬〉」だろう。黄金岬は襟裳岬ほど尖ってはいないが、岬の上にある日和山は、かつて烽火台が置かれたところである。
『駅名の起源』が 「この地は古く ルル・パ(海・のかみて)といったらしい節がある。」と述べていたことを思い出して欲しい。rur-pa〈海のかみて〉 の pa も rum と同様に〈頭/岬〉をあらわす語で、rur-rum と rur-pa はほとんど同じ意味である。知里真志保氏が残した留萌という地名のもつ精神は、しっかりと引き継がれている。
留萌川の旧流路
しかし留萌川が「黄金岬につく川」の意味だとすると、少しおかしいようにも感じる。現在の留萌川は、黄金岬からはだいぶ離れたところに流れ落ちており、「岬につく」という感じはしない。
rur-rum-ot-pet〈海岬につく川〉の ot〈つく〉とは、「くっついている」の意味合いのほか、水の場合は「溜まっている/染み出る」といったニュアンスを持つ。岬に染み出すように流れ落ちる川…しかしいまの留萌川にそんな印象はない。
このルーツを知るには、昔の留萌川の流路を確かめなくてはならない。
昔の留萌川の流路を書き込んでみた。今とは全く違うところを流れていたことがわかるだろう。留萌港の掘り込み式になっているところは、かつては留萌川が流れていたところだったのだ。
河口付近が大きく黄金岬に近接しており、日和山の丘にぶつかって曲がり、そこで海に落ちている。まさに ot の示す、「くっついている/溜まる/染み出す」といった言葉がぴったりくるような地形である。
留萌はモイか?
さて「ルルモッペ」の由来はわかったが、それがどうして「ルモイ」になったのだろう。
道内各地にオタモイ、島武意などモイ地名はたくさんある。留萌は実は rur-moy〈潮の入江〉 あるいは rur-rum-moy〈海岬の入江〉あたりではないだろうか?そう考える人がいても不思議ではない。
しかし江戸時代の記録にルルモイという記述はどこにも見当たらない。明治2年に松浦武四郎が町名の案を出した時に「留萌」「留持」という2つの案を挙げ、そこから「留萌」となり「留萌」と読まれるようになったらしい。
そこからすると moy〈入江〉 が関係あった可能性は低く、あくまでもルルモッペの短縮からルモイに転訛していたたようだ。北海道にモイ地名は数あれど、一番有名なルモイがモイ地名ではないというのはなかなか興味深い所である。
留萌の由来
留萌の由来は「ルルモッペ」からきており、rur-rum-ot-pet〈海岬につく川〉で、「海に突き出た黄金岬の近くへ流れ落ちる留萌川」のことを表した地名である。
これを留萌の地名解としたい。
コメント