新着記事

地名の由来

積丹町美国海岸の地名と景勝

積丹町美国 美国の思い出 積丹の 美国びくにはその名を冠す通り、とても美しい所である。 積丹の神威岬に初めて車で向かっている途中、ふと地図を見ると「宝島」「黄金岬」「美国」という面白い地名が目に入った。 名前だけでもなんともゴージャスなとこ...
特集

塩谷峠 ~7代の道路変遷~

塩谷峠 塩谷峠:小樽と余市の中間あたりにある小峠 塩谷峠しおやとうげ、といってもあまりこの名前で呼ばれることはないので馴染はないかもしれない。小樽市西部の塩谷しおやと桃内ももないの間にある海岸沿いの峠で、現在は塩谷トンネルが峠を貫いている。...
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1808年頃の地図に見える札幌の地名〈秦蝦夷島図〉

秦蝦夷島図の写図/北大所蔵 開拓前夜 蝦夷から北海道へ 北海道はいつから日本の領土になったのだろうか。 旧開拓使本庁舎 明確にそうなったと言えるのは明治2(1869)年。蝦夷地から「北海道」と改められ、開拓使が置かれた。そして臨時政府である...
地名の由来

濃昼(ゴキビル)の由来 ~ポキンピリは誤字か~

濃昼雑感 難読地名 濃昼 濃昼は北海道の難読地名としてよく取り上げられる常連で、その頻度はベスト10にも入るのではないだろうか。しかも他とは違い、単に読めないだけでなく音が面白いというのがその理由である。 濃昼はノウビルではなくゴキビルと読...
地名の由来

倶知安・ニセコ・岩見沢の由来 ~大地に刻まれた地形~

ニセコ ニセコ町と倶知安町ニセコ ニセコ駅 ニセコの人気が止まらない。ニセコの中心である”ひらふ坂”における地価は、10年間に14倍も跳ね上がったそうで、地価上昇率日本一であったようだ。 ひらふ坂/倶知安町ニセコひらふ 少し紛らわしいところ...
特集

寛保オタルナイ蜂起とアイヌの至宝 ~知られざる西蝦夷最後の戦い~

アイヌ蜂起の歴史 アイヌの諸豪勇時代 アイヌ史というとどんなイメージがあるだろうか。 ひどく虐げられ、差別されてきた日々…。確かにそれも歴史の1ページではあるが、もちろん初めからそうだったわけではない。江戸時代中期以降、アイヌは和人の場所請...
備忘録

小樽運河特集

昔の海岸線と色内大通 今年で小樽運河100周年ということで、運河とそのまわりに関するネタを少しとりあげてみたい。 運河の作り方は大きく2つに分けることができる。もともと陸地だったところを掘り進んで水路を作るケースと、そうでないケースがある。...
備忘録

備忘録 #04 忍路山道・塩谷・オタモイ

忍路山道のルート 幕末の西蝦夷地には道路というものがなく、漁師が時々使う短い踏み分け道のほかは、降雪期にアイヌ達が山越えするルートがいくつかあるだけであった。 安政年間、北方でロシアの船がたびたび現れるようになると、北方警備と蝦夷地の開拓の...
地名の由来

雄冬岬 ~その位置と由来~

増毛の雄冬岬 小樽に伝わる増毛の伝承 古くからの小樽人が語る民間伝承に「増毛ましけが霞むなら明日は晴れ、増毛がはっきり見えるなら明日は雨」というものがある。 小樽天狗山からみた増毛連山/写真提供・茅原みのる様 天気予報としての精度はそこまで...
特集

西蝦夷和歌集12撰

松浦武四郎と和歌 松浦武四郎 松浦武四郎といえば”北海道命名の父”とも言われ、幕末の蝦夷地をくまなく巡り、その詳細を日誌に残し、記録した地図に落とし込んだ偉大な探検家である。 その松浦武四郎が和歌をたいへん好んでいたことはそれほど知られてい...
備忘録

備忘録#03 石狩川流域の江戸時代の歴史特集

樺戸とイシカリの大酋長 アイヌ文化後期の諸豪勇時代、多くのコタンを束ねる大酋長が各地に現れ、影響力を振るっていた。アイヌ時代のなかで最も華々しい時代と言えるかもしれない。本州で言うところの江戸時代初期にあたる。 諸豪勇時代のアイヌ勢力図 西...
備忘録

#備忘録02 小樽稲荷・桜の赤ハゲ・星野の廃寺・三社神社の剣

小樽稲荷のはじまり 励ましの坂 手宮公園の脇にある「励ましの坂」は斜度22%というかなりの傾斜を持っている。地獄坂で斜度10%なので、いかに急かがわかる。昔は高島に行くときにこの坂を励ましながら上ったので、いつしか励ましの坂と呼ばれるように...