映画『シサム』レビュー ~主人公は何を成し遂げたのか~

備忘録

※この記事には映画『シサム』のネタバレが多く含まれています

時代考証の素晴らしい映画

映画『シサム』公式ホームページ

2024/9/13封切りの映画『シサム』を見てきた。

何の前情報も見ておらず、特に期待もせずになんとなく見に行ったのだが、結果的には素晴らしい作品だった。とくに時代考証が素晴らしく、当時の蝦夷地の体制をかなり正確に描き出していると思う。北海道とアイヌを題材にした映画はいくつかあるが、多くが明治以降を扱ったもので、江戸時代前半の蝦夷地についてここまで詳細に描いた映画を他に知らない。

『シサム』は江戸時代前半の白糠を舞台にした映画である。特に明言はされていないが、シャクシャインの戦いがあった寛文9(1669)年の出来事であると思う。冒頭のテロップで「史実に基づいたフィクション」であると述べている通り、登場人物こそ架空の人たちだが、その時代に起きた出来事をうまく作品に落とし込んでいる。

映画シサム予告編

商場知行制

冒頭、松前藩士である主人公が、商場である白糠しらぬかに赴くところから始まる。松前藩士といえど、別に北海道に住んでいるわけではない。主人公は江戸の屋敷に住んでおり、北海道に赴くのは初めてだった。そう、これが「商場知行制」である。

映画にも出てくる正保日本図/青森に比べ北海道はとても小さい

江戸時代の蝦夷地は前期の「商場知行制あきないばちぎょうせい」と、後期の「場所請負制ばしょうけおいせい」では大きく性格が異なる。

商場知行制と場所請負制の違い

この詳細については別に改めて触れたいが、『シサム』の時代の白糠はまだぎりぎり「商場知行制」の頃であった。侍とアイヌは対等な交易相手であり、現地の行政権はアイヌ自身が持っていた。松前藩士は自分の家に与えられた知行地に赴いて、現地アイヌと物々交換の取引をする。和人は米を、アイヌは鮭や熊皮などを。

およそ100年前に蠣崎氏がアイヌと結んだ講和条約(夷狄の商舶往還の法度)に基づき、和人の永住は禁じられている。現地にある和人施設は短期的な交易目的の粗末な小屋だけで、この時代はまだ運上屋や通行屋、小休所といった施設もない。

冒頭で主人公が寝泊まりした白糠の番屋と倉庫は、かなり粗末な作りだったが、当時はそれが全てだったのである。このあたりの時代考証が実に素晴らしい。

壁もない粗末な番屋/映画『シサム』特別予告編より

コタンでの暮らし

瀕死の怪我を負った主人公を、アイヌがコタンで丁重に介抱し、その生命を救う。主人公はしばらくコタンに身を寄せるが、そこでの生活は戸惑いの連続だった。なにしろアイヌ語がさっぱり理解できない。この映画では、一部のシーンを除いてアイヌ語に対する日本語字幕が出てこない。未知の言語を次々と浴びながら、徐々にそのニュアンスを理解していこうとする主人公の姿は、視聴者の戸惑いと重なるところがある。

伝統的な鮭漁/映画『シサム』特別予告編より

このアイヌコタンでの暮らしが、とてもわかりやすく描かれていて、伝統的な鮭漁の方法などが自然に紹介されていた。ここでのコタンの暮らしは、どんな紹介映像よりもわかりやすいものかもしれない。

sisamシサㇺ とは〈隣人〉を指す言葉で、和人に対して彼らはそう呼んでいた。

主人公は何を成し遂げたか

主人公・高坂孝ニ郎/映画『シサム』特別予告編より

この『シサム』の主人公、実にへっぽこな侍である。まず冒頭の稽古で負けるところから始まるし、宿敵との戦いでも実に情けなく藪を転がっていく。重要な人物が殺されるときも、何もすることができない。

おまけに人格者かというとそうでもなくて、あれだけ甲斐甲斐しく介抱してくれたアイヌ達に、初めは感謝すらしない。自分は身勝手な仇討ちに固執する一方で、人殺しはよくないと咎めようとして、逆に言いくるめられたりする。最大の見せ場といえばコタンに危機を伝える場面だが、そこでも全く予想しない反応が返ってきて戸惑う始末である。

主人公は一体何がしたかったのだろう。視聴者はそう感じるかもしれない。だが彼はとても大きな偉業を為すのである。

津軽一統志

日本人に「アイヌの歴史についてなにか知っているか」と聞くと、たぶんほとんどの人が「シャクシャイン」と答えるだろう。支配を強める和人に対するアイヌの抵抗……シャクシャインの戦いはそんな簡単な一言で説明できるものではないのだが、大筋で言えばそういうことになるだろう。事実、この戦いを境に、蝦夷地は徐々に商場知行制から場所請負制へと移行していく。アイヌの暗黒時代の始まりである。『シサム』はその境目の時代を描いている。

このシャクシャインの戦いを記録した史料はいくつかあるが、その中でもとりわけ『津軽一統志』という史料が非常に詳細であり、一級資料となっている。

正確には『津軽一統志 巻十』で、寛文蝦夷蜂起、すなわちシャクシャインの戦いに対して出兵した津軽藩の記録である。

津軽一統志 巻一/弘前図書館所蔵

当時の蝦夷地は松前藩が独占しており、津軽藩はかつて持っていた蝦夷地との貿易権を失っていた。そこで津軽藩は隠密を蝦夷地に放って、密かに探らせていたのである。彼らは蝦夷地に関して非常に詳細に記録を残し、今日の一級資料となっている。

蝦夷地の詳細な地名を記録した最も古い史料でもあり、例えば「ヲタルナイ(小樽)」という地名を記録したのもこの津軽一統志が初出である。津軽藩は各地のアイヌと独自に接触し、彼らの主張や反乱の理由なども探って記録に残した。

和人の砂金掘りによって川が汚されていることや、河口で鮭を全て取ってしまうので上流で鮭が採れないこと、米と鮭の交換レートが1/3まで引き下げられて人々が飢えていることなども詳細に記録している。松前藩はこういったことを隠そうとしたが、津軽藩の隠密がそれを暴いたのである。

それがこの『津軽一統志』という史料である。

映画『シサム』特別予告編より

筆は刀よりも強し

『シサム』の主人公は一体何を成し遂げたのだろう。

誰も守ることができなかった。彼が命を張って守ったコタンの住民も、その後やがて場所請負制の下に置かれ、運上屋の下で強制労働を強いられることになっただろう。村長が言い放った「逃げれば我々の生活は良くなるのか?」という問いはあまりにも重い。そしてそういう状況はその後100年、200年も続く。

だが彼は筆を取った。彼にできることは、ただ記録することのみである。蝦夷地の全土に赴き、一つ一つの状況を詳しく記録していく。その記録がいつか、彼らの子孫を救うことを願って。

場所請負人のアイヌに対する非道な行いは、幕末に松浦武四郎などによって暴かれる。それを読んだ江戸幕府は松前藩から蝦夷地を取り上げてその待遇の改善を図ろうとする。幕末に行われた「イシカリ改革」などはその一端である。それは『シサム』から200年後。確かに筆の記録には、政治を動かす力があるのである。

今日、我々が『津軽一統志 巻十』を読み、シャクシャインの時代のアイヌについて知ることができるのも、そういった名も知らぬ人たちの記録があってこそなのである。

筆は刀よりも強し。シサムの主人公は、確かにそれを成し遂げようとしたのである。

映画『シサム』特別予告編より

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