勝納川の見どころといえばなんといっても最上流部にある「穴滝」である。奥沢水源地の浄水場のところから林道を遡ること4km、巨大な洞窟の中にその滝はある。その様相はまさに秘境といって相応しいもので、夏は涼しげに水を落とし、冬は見事な氷瀑を見せる。
地図アプリなどを見ながら穴滝へ向かうと、その途中にある「雨乞の滝」というのが気になった人も居るだろう。だがあまり実物を見た人はそう多くないかもしれない。ネットを見ると訪問記がいくつか見つかるが、いずれも到達まで大変苦労しており、安易な気持ちでは近づけないところにある。夏に行くなら沢登りの装備は必須だろう。
自分は夏に一度、藪をかき分けて上から到達することに成功した。滝のところは10mくらいの崖になっており、崖上の斜面から木の枝につかまりながらギリギリでなんとか撮影することができた。しかしかなり危険なので真似することはおすすめできない。
また冬にも行ってみた。勝納赤岩を見るついでに上から降りてきたのだが、やはりこのルートもあまりおすすめはできない。幸いにもスノーブリッジが発達していたので、沢を登って結構近くまで近づくことができ、滝の前の岩の隙間のところまでは到達できた。滝はほとんど氷柱に覆われていたので全貌は収められなかったが、見事な氷瀑が岩の狭間に連なっている光景を見ることができた。
さてこの雨乞いの滝だが、過去の文献と比べるとその形についていくつか疑問点がある。
この滝について、最も古く紙に記録したのは恐らく松浦武四郎であろう。『東西蝦夷山川地理取調図』には「ホロソウ」として勝納川の上流部に書き残している。〈poro-so「大きな滝」〉の意味である。もう一つの穴滝の方が〈pon-so「小さな滝」〉だったのだろうか。
『廻浦日記』にはもう少し詳しく書いてある。
ヘトコヒハー。此処に五丈斗の大滝有るよし
『竹四郎廻浦日記』
「ヘトコヒハー」というのがなんだか気が抜けるような名前だが、どうにもこれは誤読らしい。並行記述の『按西扈従』では「ヘトコヒソー」とあるので、これは滝の名前で〈pet-e-u-ko-hopi-so「川の二股の滝」〉の意味だろう。滝の直前でガンビ沢が分岐しているので、二股とはそれのことを言っていると思われる。
問題は「五丈斗」のほうである。5丈=15.15m。あまりにもデカい。雨乞の滝の方は目測だが3丈にも届かないくらいの落差だ。『滝ペディア』には「4m」とあったが、それよりはもう少し大きい気もする。『北海道の滝めぐり~リターンズ~』によると「8m」とある。しかしいずれにせよ15mには到底届かない。上から見て気がついだのだが、どうやら二段滝になっているようだ。3mくらいの上の滝もあわせれば二つで4丈くらいにはなるかもしれない。しかし二段滝だとはどこにも書いていなかった。
もしかするとホロソウないしヘトコヒソーは雨乞の滝ではないのだろうか?
この絵葉書を見てほしい。「小樽白糸の滝」とあるが、小樽でこんな見事な滝は一度も見たことがない。ネット上で調べても誰も見たという記録はない。右下の岩の上に人が立っているので、10m位はありそうにも見える。これが噂の五丈の滝なのではないだろうか!?この情報を探していたところ、『小樽の景趣』という絵葉書の中でそれが紹介されていた。
[白糸の滝]奥澤町の奥の郊外にあり、穴瀧と共に有名な飛瀑である。夏季強歩行軍の最適地で、また詩的景趣に富めるため、詩人俳人等の訪れる者が多い。
『小樽の景趣』
奥沢町の奥、つまりは勝納川にあるようである。そして「穴滝」と共に有名な滝だというのだから、すなわち「雨乞の滝」のことではないだろうか。
だが形があまりにも違う。今の雨乞の滝はこれほど大きくないし、人が横に立つようなスペースも無い。巨大な岩盤の奥にあり、まともに見ることすら難しい位置にあるのだ。だというのに「詩人俳人等の訪れる者が多い」とは一体どういうことだろうか。雨乞の滝はトレッキング愛好家でも到達に苦労するのに、昔はきちんとした道が整備されていたのだろうか。
あるいは白糸の滝は、雨乞いの滝とは全然違うところにある滝で、今はもうその存在を忘れられてしまったのだろうか……。勝納川を少し歩いてみた感じ、他に滝と言えそうなものは白井沢の途中にひとつあった。だが滝と言っても垂直に水が落ちているわけではなく、斜めに滑り落ちている程度である。アイヌ語的に言うと〈so「滝」〉ではなく〈charse-nay「滑り落ちる沢」〉といったところか。それにあまり大きくない。無論、絵葉書にあるような見事なものではない。
実は雨乞いの滝、少々変わった形状をしている。手前10mくらいに巨大な岩壁が立ちはだかっており、そこが大きく割れるようになっていて、その岩の間の下を川が流れている。丁度樽前ガローなどと同じような感じだ。そこから10mほど奥に滝が落ちている。
白糸の滝と雨乞いの滝の手前の岩の比較である。積雪があるので比べにくいが、この手前の岩の形状と写真の地形が少し似ているようにも感じた。もしかするとかつては手前の岩で滝が落ちていたが、何からかの地形変動により岩盤が大きく引き裂かれ、滝が奥に移動したのではないか……?
雨乞の滝を調査する上でもう一つ参考になった資料があるので、それも紹介したい。大正10年ころの小樽稲穂女子中学校の先生が書いたものだと思われる。
雨乞竜
竹松川に架されてある橋を渡って行くと、左側に猫柳が一本ある。其處から一小径がある。これを辿って行くと、ぶどふ蔓ががある。其の断崖を下ると雨乞竜の前に出る。
勝納の水岩を堀り下ぐる事約六間、美しく凹凸を作って屏風の様な両壁の奥に幅約一間、高さ約二間半ばかりの竜がかかって居る。其の荘厳美、其の自然の妙実に名状する事が出来ぬ。竜は小さいが水景の美を悠にし、例えば塵界を避くるひじりの観がある。
あはれ道行く人も此の勝地を知らぬらしい。訪ぬる人もなきにや道路も定かならぬ有様である。竜や人を恨むであらふ。自然や人の愚を笑ふであろふ。悲しむであらふ。竜や、物質のみにあこがれる人土に逢ふをさくるであらふ。
『小樽郷土資料』
※原文では滝を全て「竜」と書いてあるがあえて直さなかった。もしかしたら竜に喩えていたのかもしれない。
実際、この通りに辿っていくとたどり着けることがわかった。ただし冬季限定で、夏にも行けるかどうかはわからない。「竹松川」とは雨乞いの滝のすぐ東の天狗山側から落ちてくる支流で、道が少しカーブになっている。手前の森が少し開けているのでわかりやすいところだ。
この記述によると「高さ二間半」とある。2.5間=4.545m。現在の雨乞の滝の高さとほぼ近い。
「白糸の滝」の絵葉書が発行されたのが昭和16(1941)年、この「雨乞竜」の記述が大正10(1921)年。ひょっとすると白糸の滝が崩壊して雨乞滝へと変化したのかと思ったが、時系列を考えるとどうにもそうではないらしい。
実は「穴滝」は爆破されそうになったことがある。昭和7(1931)年頃、穴滝は信仰の場となり、難病を患った人が滝に入って修行をするようなこともあったが、病人が浴びた水を飲むなんてとんでもない、ということであやうく洞窟を爆破されるところだったというのだ。結局爆破はされずに、地蔵が移されるのみで済んだようで、当時地蔵を置いていた穴が洞窟の壁にまだ残っている。(参考:ときどきの記)
あの穴滝ですら爆破されそうになったのだから、荘厳な白糸の滝は爆破が実行されてしまい、小さな雨乞の滝となってしまったのかもしれない。そんな事も考えてみた。だが時系列がそれを許さない。少なくとも戦前までは白糸の滝は残っていたように思う。
果たして小樽白糸の滝とはどこにあったのだろうか。長崎県に「小樽の滝」というのがあるようで、なんとなく形も似ている気がする。あるいは山梨県見延町の小樽沢にある滝ではないかということを教えてくれた人もいた。もしかしたら何かの勘違いによって、それが小樽にあると誤解してしまったのかもしれない。何が情報があれば教えて欲しい。
だが確かに松浦武四郎は「五丈ばかりの大滝」がここにあると言っていたのだ。一体どこにあるというのだろうか……
コメント