濃昼(ゴキビル)の由来 ~ポキンピリは誤字か~

地名の由来

濃昼雑感

難読地名

濃昼

濃昼は北海道の難読地名としてよく取り上げられる常連で、その頻度はベスト10にも入るのではないだろうか。しかも他とは違い、単に読めないだけでなく音が面白いというのがその理由である。

濃昼はノウビルではなくゴキビルと読む。初めて聞いた誰もが茶羽のアレを想像していしまうという。なんともおぞましいというか面白い地名である。ただ北海道民はソレを見たことがない人が多いので、そこまで嫌悪感はないだろうか。

濃昼の位置

濃昼漁港

濃昼は石狩市内にある。といっても、元々は厚田村と浜益村に属していたので、あまり石狩という感覚はないかもしれない。昔からアツタと浜マシケの境界に位置していた集落で、今も濃昼川を境に石狩市厚田区と石狩市浜益区は分かれている。

濃昼の位置

濃昼は国道が大きくUの字にカーブしているので、地図を見たときに遠くからわかりやすい。もう一つ大きくUの字にカーブしているところが北にあるが、そちらは浜益の市街地に近い毘砂別である。

濃昼集落

このUの字カーブの内側に濃昼の集落がある。小さな漁村といったイメージだろうか。陸の方には住宅地も並んでいるが、店らしい店もなく、隔絶された静かな集落という雰囲気がある。

濃昼集落

既存の地名解

濃昼は難読かつ音が独特だが、その意味の方もあまりわからなくなっている。まずは濃昼の既存の地名解を見てみよう。

ポキンピリ

道の駅あいろーど厚田の情報パネル

道内屈指の難読地名です。元は「ポキンピリ」と呼ばれました。pokin-pirを「下の・渦」あるいは「下の・陰」(谷間の意味)と解釈する説があります。

道の駅あいろーど厚田
  • pokin-pirポキンピㇼ〈下の・渦/陰〉

の意味だそうである。pirピㇼ は一般的には〈傷〉の意味だが、『地名アイヌ語小辞典』によると〈うずまき、渦流〉もしくは〈蔭〉という意味もあるそうである。

しかし「ポキンピリ」から「ゴキビル」である。似ているとも似ていないとも言い難い。意味の方も、わからなくはないが、いまひとつピンとこない感じはする。ポキンピリの類例はないと思われる。

この説の初出は上原熊次郎によるようだ。

ゴキンビル

夷語ポキンピリなり。則、蔭の蔭なりといふ事。扨、ポキンとは蔭の事。ピリも亦、蔭と申事にて、此所数カ所の崎の蔭なるゆへ、字になすと云ふ。

『蝦夷地名考并里程記』上原熊次郎

岬の陰になるゆえにその名をつけたという。また松浦武四郎はこの上原熊次郎説を引用しつつ、

ゴキビル 名義、水渦巻といへる事なり(シリカト申口)

またホキンビリにて、則ち蔭のまた蔭といふ儀なりと。此辺岬の蔭なるを故に號るか。

此所此岬とアツタ領の岬の間にて水の渦巻が故に號くとかや。

『天之穂日誌』松浦武四郎

と言っており、pirピㇼ を「水の渦」と見たようだ。ただこの『天之穂日誌』、オロロンラインの数多くの地名訳を載せているのだが、案内人シリカトの独断をメモしたのか、全体的に訳に怪しい物が多い。

しかしゴキビル岬を濃昼集落の北の岬と明示しているのは注目すべきところである。

今日ではこのポキンピリ説が定説となっている。

オキピリ

オキピリ」ないし「ホキピリ」説も見える。いずれも榊原正文氏の説で、

  • o-kipirオキピㇼ〈川下からそそり立つ崖〉
  • ho-kipirホキピㇼ〈河口に水際からそそり立つ崖〉

という解釈だ。kipirキピㇼ は〈水際にそそり立つ崖〉のことで、苫前には 力昼りきびる という地名があり ri-kipirリキピㇼ〈高い崖〉の意味である。

類例もありなかなか良さそうな地名解だが、 o- ないし ho- という接頭辞は動詞につくものである。kipir は名詞なので動詞が不足している。例えば o-kipir-us-iオキピルシ〈川尻に崖のつく所〉などと動詞を補えば文法的に成立するが、旧記類にオキビルシといった表記は今のところ見たことがない。

ボキビル

あるいは浜益町史に

また「ボキビル」ともいい、「ボキ」は滝壺「ビル」は水の落ちて沸騰するをいう。濃昼川の上流に滝がありこれを「ボキビル」というのを訛って「コキビル」になったという。

『浜益町史』

とあるが、pokiポキ が〈その下〉だとしても、ビルで「水の落ちて沸騰する」というのがよくわからない。〈沸騰する〉は popポㇷ゚ だと思う。ただ上流に滝が本当にあるらしいことは支流名から窺える。

果たして濃昼の地名解はどれが正解なのだろうか。検証していこう。

濃昼の由来を考える

ゴキは訳しにくい

地形的な視点から見ると、力昼りきびるri-kipirリキピㇼ と同様に kipirキピㇼ〈水際の崖〉を使いたい。できることなら ko-kipirコキピㇼ ないし kok-kipirコキピㇼ のような形が作れればいいのだが、残念ながらそんな地名は解釈不能である。

ku-o-kipirクオキピㇼ〈仕掛け弓の崖〉 だとか kut-kipirクッキピㇼ〈岩層崖〉、kot-kipirコッキピㇼ〈谷崖〉などの解も考えてみたが、それを裏付けるだけの証拠がない。

アイヌ語はカ行とガ行の区別がない。またバ行とパ行の区別もない。「ゴキビル」も「コキピル」も全く同じである。ただ北海道の地名を見てみると、ガ行から始まるアイヌ語由来の地名は驚くほど少なく、片手で数えるしかない。どちらでもいいからといってコタンを”ゴタン”と言ったり、コトニを”ゴトニ”と言ったりするのは聞いたことがない。それなのになぜゴキビルは”ゴ”で呼ばれることが多いのだろう。

アイヌ語はバ行とパ行の区別はないが、ハ行とバ・パ行の区別はある。ただし和人はバ・パ行をハ行で書きがちなので区別がつきにくいことがある。もし原語が ho-kipirホキピㇼ であった場合、キピルにはなってもキピルやキピルにはなり得ない。キビルやキンピリという表記が残されていることからすると、濁音があったことは間違いなさそうだ。

無闇矢鱈に転訛させるものではないが、これらからすると、ゴキはコキではなく、ポキから転訛してゴキになったという可能性はひとつとして考えられそうだ。

ポキンピリの出どころ

江戸時代の古地図や旧記の類を見ると、ほとんどが「ゴキビル」ないし濁音を省いた「コキヒル」である。初出は『津軽一統志』(寛文10年)の「こきひる」だろか。しかし少数ながら「ポキンピリ」説の裏付けとなりそうな地図もあった。

『道庁実測切図』に見えるポキンピリ川
『伊能大図』に見えるホキンヒル

明治25年頃の『道庁実測切図』に「ポキンピリ川」、文政4年の『伊能大図』に「ホキンヒル」が見える。これはやはり pokin-pirポキンピㇼ〈下の陰〉説が正しいと言っていいのではないだろうか?

史料の参照関係

だがそう判断するのはまだ早い。史料の検証をする際は、その史料の参照関係を意識しなくてはならない。例えばアイヌ語地名研究家として最も有名な山田秀三氏は、『今井測量原図』や『間宮河川図』などを参照していない。

主要な蝦夷図・地名解の参照関係/上が年代の古いもの

『道庁実測切図』は『永田地名解』を参照しており、それに基づいて地名を記している傾向がある。永田地名解で「ポキンピリ」と解いたので、「ポキンピリ川」としたのだ。そのためこれは傍証にはならない。

『伊能大図』はどうだろうか。実は伊能忠敬は西蝦夷地に来たことがなく、このエリアは間宮林蔵の測量結果に基づいて伊能の弟子たちが描いている。では間宮林蔵はどう書いただろうか。元となった『間宮河川図』を見てみよう。

ポンキピリ

『間宮河川図』に見えるゴキビル川

『間宮河川図』に非常に興味深い記述を見つけた。ゴキビル川の上流部に「ショーウシホンキヒル」を挙げているのである。「ホキンヒル」ではない、「ホンキヒル」である。どうやら伊能の弟子たちは「ホンキ」を「ホキン」と誤って書いてしまったようだ。

  • so-us-{pon-kipir}ショウㇱポンキピㇼ〈滝のある濃昼川(小さな水際の崖)〉

濃昼川の砂防ダムの上流2kmほどに滝があると釣り人のブログで見た。

この『間宮河川図』を参照している松浦武四郎はこの川名をどう書いているだろうか。

『松浦山川図』に見えるゴキビル川

武四郎は「ショーウシホンコキヒル」「ショーウシホロコキヒル」という2つの支流名を挙げている。だがこれは少々奇妙である。このような名前付けをする時、普通は「ホンショーウシコキヒル」「ホロショーウシホンキヒル」としそうなものだ。武四郎は「ホンキヒル」を「ホンキヒル」と勝手にコを補間してしまい、さらにおそらく存在しない「~ホロ~」を独断で付け加えてしまった。その証拠に、日誌の方には”ホロ”の支流については出てきていない。

つまりここからわかることは、原語は「ポンキピル」でそれが訛って「ゴキビル」になったが、伊能の弟子がそれを誤って読み取ったことで、「ホキンヒル」という謎の単語が生まれてしまったというわけだ。

『伊能大図』による誤記が伝搬していった流れ

伊能の弟子によるたった一つの誤記が、まるで伝言ゲームのように伝搬していって現在の定説を作り上げたのである。

濃昼の由来

すなわち濃昼ごきびるの本当の由来は

  • pon-kipirポンキピㇼ小さな水際の崖

であったというわけだ。これなら力昼りきびるri-kipirリキピㇼ と同様に「自動詞+名詞」で文法的に問題がなく、”ポキンピリ”という誤った説が登場してしまった理由も説明がつく。

さて pon-kipirポンキピㇼponポン小さい〉 とはどういうことだろう。濃昼漁港から見えるの断崖絶壁はなかなかのもので、それほど小さいという印象は受けない。

武四郎は『天之穂日誌』のなかで、濃昼集落の浜益側(北側)の崖がゴキビル岬だと言っていた。

『今井測量原図』のゴキビル/赤字で加筆

『今井測量原図』でも、ゴキビルは濃昼集落の北側の岬を示している。南側の赤岩岬を現地で見てみると、まるで山のようにそびえ立つ切り立った崖で見事なものである。それに比べると、北側の濃昼岬はponポン すなわち〈小さい方の〉崖に見えるのかもしれない。

濃昼岬/小さい方の水際の崖
赤岩岬/大きい方の水際の崖
濃昼岬と赤岩岬/地理院地図・傾斜量図に赤で加筆

実際にそう呼ばれているのを確認したことはないが、もしかしたら南の赤岩岬のほうが poro-kipirポロキピㇼ〈大きい方の水際の崖〉だったのかもしれない。

すなわち濃昼ごきびるの由来は、集落北側に聳える pon-kipirポンキピㇼ小さい方の水際の崖〉から来ていて、「ポンキピル」が「ゴキビル」と訛り、がそれが集落名や川名にも適用されたものだったのだろう。これを濃昼の地名解としたい。

濃昼の見どころ

濃昼番屋 

濃昼番屋/2021年
閉鎖された濃昼番屋/2023年

濃昼番屋(旧木村家番屋) は濃昼の網元だった木村家の鰊御殿で、赤い屋根と和洋折衷のデザインが素晴らしい。近年になって料理屋として活用されたこともあったようだが、その後建物を保全をしていた会も2021年に解散してしまい、現在は閉鎖されている。このまま朽ちるのを待つのは惜しい建物だと思う。

ポンキピルの崖

濃昼(ポンキピル)の崖

濃昼の地名の由来ともなったポンキピルの崖。この崖は石狩遺産の火山活動地形のひとつとして挙げられており、水冷破砕岩ハイアロクラスタイトによってできた荒々しい岩崖を見ることができる。

また石狩遺産プロジェクトの紹介によると、濃昼トンネルの入口脇から登っていくと、見事な海食崖を見ることができるそうだ。ここは見逃したので次の機会に行ってみたい。

濃昼山道

濃昼山道/濃昼口
濃昼峠
濃昼山道ルート

濃昼山道ごきびるさんどうは厚田の安瀬と濃昼の間を結ぶ、昔の山越え道。この区間の海岸は切り立っており、浜沿いを歩くことができないため、安政年間に山道が整備されている。現在は新赤岩トンネル・太島内トンネル・滝の沢トンネルと3つのトンネルが貫かれており、そのほとんどがトンネル区間だということからも海岸が難所だったことがわかる。

この濃昼山道は有志によって整備されており、なんと増毛山道と共に北海道遺産の一つに登録されている。古道を大切にする取り組みは大変素晴らしい。また松浦武四郎も道内各地の名所の一つとして、この濃昼山道を挙げている。

開削当時は今よりも山奥のルートを通っており、整備も不十分だったようで、安政4年にここを通った箱館奉行とその一行は苦言を呈していた。

ヤソシケに至り小憩す。
是より二丁斗行当春新開の山道へ入りたり。険阪且沮沢にて歩行甚難儀なり。尤馬行は迚も叶はず雨天の節は人行も亦叶ひ難からん。雷電山の新道極険阻の所なれども裸馬位は通行叶ふなれば追々能く開なば乗馬の人も通行なるべし。此新道に至りては中程に至り路更に断へて沢中を歩す。

其間十八九丁、巨石多く沢水其際を通ず。旅人其上歩す、誤て一躓すれば一身忽ち破砕となるべし。極難路と云ふべし。其外水なき所に至りては隘路且両際大沢なれば少しく転躓すれば其中に陥るべし。例の妄言をするも如何なれかる開き方にては開かざるも同然なり。上よりの下知ならば入の通行する様能開くは当なるに前の次第未だ通行もならざるに鎮台を案内して一見させしは如何なる厚顔にや。是又速功を求んと僥倖を願ふの輩実に悪むべし。場所々々の役人皆如此にはあらねども十七迄は是に準ずべし、慨歎の至りなり。

此山道四ヶ所小憩漸くしてゴキヒルと云ふ所に至る。是迄はアツタ領にてヤソシケより二里弐十四丁と云ふ。

『入北記』安政4年6月2日/玉虫左太夫

大変な山道だったようで、沢の中を歩くところも多く、一歩踏み外せば滑落しかねない危険なところも多かったようだ。

急下りに下るに、中には木の根に取り付かざれば行がたき処など有しが、また岩角を飛下り刎下りして三十丁計りにて浜に下りけり。

『天之穂日誌』松浦武四郎

松浦武四郎も、木の根に取り付いたり、岩を飛び降り跳ね降りしながら浜に下ったと述べている。

古道との分岐

現在は山道も整備され、距離が短くなった新道も開削されているとはいえ、非常に風が強くて吹き飛ばされそうになったり、滑り落ちるのではないかと少し怖い場所もいくらかあった。しかし濃昼峠付近から見る景色は素晴らしく、トレッキングコースとしてとてもいい場所だと思う。

全ルートを踏破するのは結構大変なので、濃昼口から濃昼峠まで往復するだけでも十分楽しめる。歩きやすい軽登山の格好で行こう。

濃昼山道
濃昼山道より石狩を望む

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