蘭島の地名の由来

地名の由来

蘭島とは

海水浴場発祥の地・蘭島

蘭島(らんしま)」は小樽の一番西にある町である。

かつては「忍路郡蘭島村」というひとつの村を成していた。余市との境界に位置し、その境目にはフゴッペ岬という海に突き出た陸がある。忍路半島とフゴッペ岬に囲まれて波の静かな入江は砂浜に覆われ、まさに海水浴に絶好の場所となっている。

北海道海水浴場発祥の地碑

蘭島には「北海道海水浴場発祥の地」という立派な石碑がある。蘭島駅が開駅してから、夏になると蘭島のビーチには多くの海水浴客が訪れた。またこの近くには「鰊塚」という石碑もある。ここがかつて鰊の良漁場だったことを物語っている。

蘭島の見どころについては別途記事にまとめたので、よければまず蘭島の魅力について知っていただければ嬉しい→蘭島の地名と風景

この記事ではそんな蘭島の地名の由来を探ってみよう。

解しにくい地名

アイヌ語地名研究家の山田秀三先生は『北海道の地名』の蘭島の項で率直にこのように述べている。

他に例がなく、解しにくい

『北海道の地名』山田秀三

その後、蘭島の地名解について、色々な説を説明しているが、どれも決定打に欠ける印象で、どれが正しいのかよくわからないのが実情である。

自分もこの蘭島の地名の由来について、およそ1年掛けて研究を重ねてきた。当初はこれだ!と思った地名解も、だんだん違うように感じてきたり、二転三転しながらやっとひとつの結論にたどり着いたことである。これらを検証しながら見ていこう。

下り入る処?

蘭島川に設置された河川標識には、川の由来についてこのように説明している。

蘭島川の河川標識

アイヌ語でラシュマナイ(下り入る処)古え虻田アイヌ、山を越えて此処に下りて住居し、其子孫南北に蕃恩したりと云う。

蘭島川河川標識

「蕃恩」などというなんだか聞いたことがない表現をしているが、この書き方は『永田地名解』に基づいた説だろう。

Ranoshuma-nai ラノシュマ ナイ 下リ入ル処

古ヘ虻田「アイヌ」山ヲ越エテ此処ニ下リ入リテ住居シ其子孫南北ニ蕃息シタリト云フ

『蝦夷語地名解』永田方正

なるほど、「蕃息はんそく」が正しく看板の「蕃恩」は誤植のようだ。子孫が繁栄すること。繁殖とほぼ同じ意味らしい。

虻田アイヌが山を越えきてこの地に入り、住み着いて繁栄したそうだ。松浦武四郎も、山越えしてくる虻田アイヌが手宮や勝納などから下りてくる話を残している。ので、この話自体は本当かもしれない。ただしそれが果たして蘭島の地名の由来と関係があるのかはわからない。

そして看板の方では何故か二音目の「」を省いてしまっているが、それを除けばほぼ同じ内容である。この二番目の音がなかなかの曲者であり、最もブレが大きいところでもある。

江戸時代の文献から

それぞれの地名解に触れる前に、まず蘭島が江戸時代の日誌・地図・文献ではどのような音で書かれているか見てみよう。

文献に出てくる蘭島の表記(清濁の違い等はまとめた)

最初に読み取れるのが、川を表す〈ナイnay〉がついているケースが非常に多く、この地名が川と結びついている可能性が高いことである。この表では省略したが、岬を表すときもわざわざ「ラヲシュマナイサキ」とナイを必ずつけている。

そして音のブレは二音目に集中しており、「ラ□シマナイ」という二音目以外の部分はほぼ共通している。それ以外の音は誤差の範囲と見て良さそうだ。

これを踏まえて、既存の地名解を見てみよう。

蘭島の既存の地名解

蘭島の代表的な地名解

現在、定説とされているものは2つある。

〈ラノシュマナイran-osma-nay「下り入る処」〉がその一つで、前述した通り最初に唱えたのはおそらく永田方正氏。『忍路郷土誌』でもこれに基づいて忍路の歴史が書かれているし、蘭島川の河川標識の看板もこれがベースになっている。

〈ラノシュマクナイran-osmak-nay「下り坂の後ろの川」〉と解釈したのは更科源蔵氏であろう。初出は『駅名の起源』で、Wikipediaでもこちらが採用されている。上との違いは〈オシマosma「(勢いよく)入る」〉か〈オシマosmak「後ろ」〉の違いだ。

いくつかの地名解では〈シュマsuma「岩」〉が使われていることも注目できる。アイヌ語に由来する地名で「島」がつくものは6割がた〈シュマsuma〉を語源としているので、これも一考に値する考えである。

そして〈ランran「下る」〉ではなく〈ラra「低い所」〉としているものもわずかにある。

定説の気になるところ

どの地名表記も「ナイ」で結ばれているように、これは基本的には「」が主語となる地名である。これを「(先祖が)下り入った処」のように「人間」を主語として解釈するのはやや気になる表現である。

〈ラン・オシマran-osma〉にしろ〈ラン・オシマクran-osmak〉にしろ、アイヌ語発音ではこれがくっついて「ラノシマ」と発音される傾向にある。ところが、改めて江戸時代の文献を見てみると、「ラノシマ」としているものは一つも無い。無論「ランオシマ」も無く、『遠山村垣日記』で唯一「ランシマ」としているのみである。

〈ランran〉は動詞で「下る」を表す単語である。名詞で「下り坂」という意味はない。名詞にするなら〈ラra〉で「低い所」を表す。やはりこれも「坂」という意味合いはない。

これを考慮に入れて考えると、更科説の〈ラノシマクナイran-osmak-nay「下り坂の後ろの川」〉は〈ラオシマクナイra-osmak-nay「低い所の後ろの川」〉と修正して解釈し直せるだろうか。

また榊原説の〈ラノシュマナイran-o-suma-nay「坂がついている岩の川」〉も〈ラオシュマナイra-o-suma-nay「低い所にある岩の川」〉と直せるだろう。

ただどちらにしろ、「低い所」というのが何を指しているかがどうにもはっきりしない。山を越えてきたのなら「高い所の後ろ」ではないだろうか。畚部岬が高く聳えているのを見ると、低い所の岩と果たして言えるのだろうか。よってこれらはとりあえず保留としておきたい。

沈むラウォシマ

榊原氏が試案で挙げている〈ラウォシマイナイrawosma-i-nay「海に入る岬の川」〉はなかなか興味深い解釈だ。だが文献の音からしてナイの前に「イ」が入っているとは思えないので、これは〈ラウォシマナイrawosma-nay「沈む川」〉としてもいいのではないだろうか。

ラウォシマrawosma〉は〈ラウraw「(水などが)深い所」〉と〈オシマosma「(勢いよく)入る」〉がくっついた単語で、水・雪・泥などに「飛び込む」「沈む」「(足が)ぬかるむ」などの意味合いを持つ。川につく言葉としてはなかなか使えそうな雰囲気がする。

「ラウォシマ」なら「ラシマ」や「ラシマ」と聞き取れた可能性も十分考えられる。

喉頭破裂音

オタルナイ・レコードの浜田さんは蘭島の発音について詳しく説明をしている。→北海道小樽市「蘭島(らんしま)」について

要約すると、アイヌ語は母音の連続をひどく嫌うので、喉頭破裂音「’」を間に入れるというものである。〈ラオシマraosma〉はアとオの母音が連続するので間に咽頭破裂音を入れて〈ラ ‘ ォシマra’osma『下方に突っ込む川』〉とし、母音の連続を避ける。これがラオシマナイの二音目が「モ」「ヲ」「ゴ」などにブレる原因だというのである。大変興味深い説明だ。

これを考慮に入れるなら〈ラオシュマナイra-o-suma-nay「低い所にある岩の川」〉の方も間に咽頭破裂音が入っていると考えることもできる。

5つの候補

ここまで出てきた地名解の候補を5つにまとめてみよう。

発音綴り解釈
ラオシマナイra-osma-nay下方に突っ込む川
ラウォシマナイraw-osma-nay沈む川
ラオシュマナイra-o-suma-nay低い所にある岩川
ランシュマナイran-suma-nay石の落ちる川
ラオシマクナイra-osmak-nay低い処(坂)の後ろの川
蘭島の地名解の候補

果たしてどれが正しいのだろう。候補を全く絞りきれていないが、ここからは実際の地形と環境を見ながらどれが当てはまるかどうかを考えていきたい。

蘭島の地形と環境

穏やかな流れの蘭島川

蘭島の地形を3Dにした図を作成してみた。わかりやすく高さ方向は3倍に拡大してある。

蘭島の地形

蘭島の市街地がある地区は極めて平坦になっており、ほとんど高低差がないことがわかるだろうか。海岸には広く砂浜が広がっている。そしてそれぞれの支流も、そこまで急流である印象はない。

この地形からすると、〈ra-osma-nay「下方に突っ込む川」〉というのがどうにも当てはまりにくいような気がする。〈オシマosma〉というのはかなり勢いがある動詞で、「ぶつかる、突入する、突っ込む」といったニュアンスを持つ。これが川のことを言っているのだとしたら、かなり急流であったはずだ。だが実際の蘭島川を見ると、流れが穏やかでそういった印象はない。

尤も、現在は本流がニ筋になっていることからわかるように、治水工事で蘭島川は流路を大きく変えられており、線路沿いに水流を迂回させる前は幾度も氾濫して村落に被害を与えたそうだ。そういう意味ではosmaという単語もあり得るかもしれない。

氾濫防止の為、線路裏に迂回された蘭島川本流の水路(金勢崎)

フゴッペ越の坂道

更科源蔵先生や榊原先生は〈ラノシュマクナイ/ran-osmak-nay〉「坂道の後ろ側の川」と解いている。この坂とは何のことを言っているのだろう。

畚部越の坂道
畚部トンネルと旧道の坂道

隣の畚部フゴッペと蘭島の間には畚部岬が大きく突き出しており、陸路で行き来するにはこの上を越えていかなくてはならない。これが「畚部越の坂」である。

この坂がなかなか険しくて、とても傾斜がきつかった。これでも明治6年頃に岩を削って通りやすくしたはずなのだが、それでも転げ落ちてしまいそうな坂道だった。

明治6年にここを馬で越えた開拓使御雇教師頭取兼開拓顧問のケプロンは、こんな日記を残している。

道は途方もなく悪く、ひどい坂道である。馬は私が乗ったまま凄く急な坂道で転び、私は危うくその下になり、痛いどころか実にびっくりする。

『蝦夷と江戸』ホーレス・ケプロン

余市からずっと平坦な浜を歩いてきて急にこの坂を登ることになったら、印象に残る坂になっただろう。〈ラra「低い所」〉に「坂道」という意味は直接的には無いが、確かに坂の上から見たら川が流れているのは低いところだ。

畚部越の坂の上から見た蘭島川と街並み

石を落とした兄妹の話

『カムイルコト』の大和田先生は〈ran-suma-nay「石の下る谷川」〉と解していた。先生がこれを念頭に置いていたのかはわからないが、偶然にもこの畚部岬には石が落ちるエピソードの伝説がある。

昔男二人と女一人の兄妹がフゴッペチャシに住んでいた。兄はリコマアイヌ、弟はラワランケ、妹はコクッテシマツという名であった。このアイヌ達は意地が悪く、忍路や余市のアイヌがあの岬の下を通ると上から石を落として邪魔するので、危くて通れなかった。

(無江円助伝、河野広道輯)

結局このアイヌ達は忍路アイヌと余市アイヌの協力によって攻め滅ぼされてしまい、安全に通行できるようになった、という話だ。

蘭島川は砂浜に注ぐ川なので、文字通り川が石を運んでくることはあまりなさそうだ。もし「石の下る川」だとしたらこのエピソードが関係あるかもしれない。

余市側から見た畚部岬

海岸の岩を渡った話

〈ラオシュマナイra-o-suma-nay〉が「低い所にある岩川」だとしたら、その岩とはどこにあるのだろうか。これが畚部岬そのもののことを言っているのだとしたら、「高い所にある岩」となりそうだ。

これはもしかするとその下にある岩磯のことを言っているのかもしれない。ここまで釣り人が渡っているところを見たことがある。

畚部岬の先端にいる釣り人

これに関しても面白いエピソードがある。明治3年、新道開削のために箱館から札幌へと海沿いを歩いて向かった東本願寺の一行は、余市・小樽間のここも通行した。その際、山道を登るのが面倒だったのか、海沿いの岩磯を歩いてショートカットしようとする。

『余市小樽之間求捷径到海岸難処』明治三年東本願寺現如上人北海道巡錫絵図

東本願寺一行が岬の下を手を繋いで渡っているが、一人が海に落ちて沈みそうになっている。その様子をアイヌが見て笑っている。この錦絵シリーズで雷電岬のものは、一人が崖から馬ごと落ちて悲惨な絵になっているが、この場所ではみんな笑顔なのでそれほど深刻な状況ではないのだろう。これが畚部岬のことを指しているかはっきりとは明示されていないが、地形がだいたい一致するのでおそらくここではないだろうか。

明治6年に畚部越の坂が整備される前は、上を越えていくのは今よりも難しかったはずだ。昔のアイヌも「エヤイトゥパレ、ラオシュマ!(下の岩に気をつけて)」と言いながら慎重に渡ったかもしれない。

畚部岬の蘭島側にある岩磯

シジミの名産地

最後は〈ラウォシマナイrawosma-nay「沈む川」〉について。〈ラオシマrawosma〉とは、「(水などの)深い所、沈む底の方」を表す〈ラウraw〉と、「勢いよく入る」を表す〈オシマosma〉がくっついた言葉で、水や泥、雪などに「沈む、ぬかむる、飛び込む」などを表す。

蘭島川を渡るときに足がぬかるんだのだろうか。ちょうど前項で出てきた東本願寺の錦絵でも沈んでいる人が出てきた。そしてここは現在海水浴場であり、皆が水の中に飛び込んでいく。まさに蘭島にぴったりな地名解ではないだろうか。

これに関わるエピソードもある。

ラコシマナイ、小川有。牡蠣、しじみ、此処にて取れるよし。運上屋に支度を致しければ蜆汁しじみじるを出せしが、此処の蜆なりと云いたり。

ヲシヨロ、(中略)この蝦夷地中になき品一種有。我ら此処へ休らひしに蜆汁を出しぬ。如何にも珍しき覚え皆賞しける。是は前にも云ラコシマナイに捕るよし也

『蝦夷日誌』松浦武四郎(弘化三年)

松浦武四郎は忍路の運上屋を訪れた際、蘭島で獲れたシジミ汁をご馳走になったようだ。これが大変珍しかったのか、わざわざニ回も言及している。よっぽど美味しかったのだろう。

このシジミ貝というのはどこでも取れるわけではなく、海水と淡水の混じり合う汽水域でしかシジミは生息できない。ということは海の沖合ではなく蘭島川の河口で採ったはずだ。蘭島川の河口は砂地であり、シジミが生息しやすかったのかもしれない。

砂浜に注ぐ蘭島川河口

余談だが、シジミというとどうしても松岡修造のことを思い出してしまう。

「俺だってこの-10℃のところ、しじみが採れるって頑張ってるんだよ!」

川に身体を沈めてシジミを捕る。ゆえに「沈む川」。これはこじつけだろうか。

ここまでのまとめ

  • (氾濫するという意味で)「下方に突っ込む川
  • (フゴッペ岬越の)「坂の後ろにある川
  • (意地悪な兄妹が)「石を落とした川
  • (岬の下の)「低い所にある岩川
  • (シジミを捕るために)「沈む川

5つの説を紹介してきたが、どの説にもそれぞれエピソードがあり、どれも絶対に違うとは言い切れない。これが地名解の難しいところであり、面白いところでもある。果たしてどれが一番正解に近いのだろうか?

しかし注意深く調べているうちに、これらとは全く違う説を思いついてしまった。5つも候補があるのにさらに追加するのか、と思うかもしれないが、これがなかなか興味深いのである。

蘭島の地名解・新説

ここまでのアプローチは、あくまでも「ランシマナイ」というに注目し、そこから意味を導いていくものだった。これとは逆に、先にに注目し、そこから音を導いていくというアプローチを取ってみたい。

どれが蘭島川の本流?

蘭島川の地形を改めて見てみよう。

蘭島川と支流の名前

蘭島川には「餅屋沢」「チブタシナイ沢」「土場沢(メノコ沢)」「種吉沢(ツコタン沢)」という4つ支流があり、このうち本流とされているのは土場沢である。これは「最も長い支流を本流とする」という現在のルールに基づいたもので、今は土場沢が蘭島川本流である。

3つの支流の名前にアイヌ語地名が残っているのにも関わらず、なぜか「餅屋沢」だけはアイヌ語支流名がない。これはどういうことだろうか。そもそも「餅屋」とはなんのことだろうか。これがアイヌ語なのだろうか?

餅屋沢のモチヤとは

モチヤ沢橋

モチヤ沢……安政の昔、この沢に「餅屋」と称する日蓮宗の篤信家が来て庵を結び、西川漁場と交渉をもつことにより生計を立てていたという。

『忍路郡郷土誌』

餅屋沢を少し登っていくと「七面山妙法寺」という日蓮宗のお寺さんがある。そこに設置されていた七面山大明神開山の宝塔に刻まれた文字を読むと「文久三年」とあった。文久は安政年間のすぐ後なので、郷土誌の話は確かなようだ。

七面山妙法寺の宝塔

ということは「モチヤ」は和名であり、アイヌ語ではない。ではこの沢のアイヌ語地名は一体なんだったのだろうか。

餅屋沢・蘭島沢・桂ノ沢

このあたりの地名を確かめるために、大正10年の蘭島村の『土地連絡図』を見てみよう。これは当時の旧字名と区画割を記したおそらく現存する唯一の史料であり、色々なことを読み取ることができる。以下は土地連絡図の餅屋の沢周辺の地図を抜き出したものだ。

旧字名の餅屋ノ沢、蘭島澤、桂(桂ノ澤)が見える『忍路郡塩谷村蘭島村連絡副圖』
旧字名の餅屋ノ沢、桂ノ澤が見える『忍路郡塩谷村蘭島村連絡副圖』

土地連絡図から非常に興味深いことが見えてきた。まず、餅屋澤が「ランシマ澤」とも呼ばれていたということだ。他の支流ではこの沢名が使われていなかったので、「餅屋沢=蘭島沢」だったことがわかる。餅屋沢が本流であり、ランシマナイとはこの餅屋沢のことを指していたのだ。たしかに地形を見てみると、河口にまっすぐ下りてくるこの沢が本流と見做されたのも不思議ではない。現在のルールでは一番流路が長い支流が本流とされるが、当時のアイヌはそんなことにはこだわらなかっただろう。

そしてもう一つ、「桂ノ澤」というのが出てくる。これは最初、どこか小さな支流の名前かとも思ったが、餅屋沢の上流から下流にかけてほぼ全域にわたってこの字名が出てくる。ということは桂ノ沢は餅屋沢そのものであった可能性が高い。

蘭島沢」「餅屋沢」「桂ノ沢」と、同じ一つの沢に三つの名前がついている。これは面白い。しかしどういうことなのだろうか。

桂ノ沢のアイヌ語地名

「餅屋沢」が幕末にやってきたお坊さんに由来することは前述した通りである。では「桂ノ沢」はどうなのだろうか。和人が後からつけるにしては妙である。既に蘭島沢なり餅屋沢なり名前があったはずなのに、あえてさらに付け加えるだろうか。ここでハッと閃いたものがあったので、「桂の木」のアイヌ語を調べてみた。

ranko ランコ 【ranko】

 カツラ:丸木舟を掘ると軽いので操作しやすいため.一番多く舟材として用いた.

『萱野茂のアイヌ語辞典』

こんな偶然があるだろうか!桂の木はアイヌ語で〈ランコranko〉と呼ばれているのだ。

つまりは「桂ノ沢」は「ランシマナイ」をそのまま意訳したもので、「蘭島沢」はをもとに漢字を当てたものだったのだろう。松浦武四郎が「ラコシマナイ」と言っていた理由は、桂のランコにあったのだ。

となると、あとはこの単語を使ってアイヌ語地名らしくしてみるだけである。

〈オマoma〉とは「位置する、ある、入る」などを意味する他動詞で、地名にはよく使われる。アイヌは川を下流から見て考えるので、入るとは上流に向けて川沿いを遡上していくという意味合いだ。

ランコウシオマナイranko-usi-oma-nay「桂の群生地に入る川」

うーん、どうだろう。後志の蘭越町が〈ランコウシranko-usi「桂の群生地」〉で、ランコシになっていることから、「ランコシオマナイ」とはできると思う。しかしomaのオを音韻脱落させて「ランコシマナイ」まで短くできるかはちょっとわからない。しかし意味としてはだいぶ通じる感じになった。

これが正しければ、蘭越と蘭島はもしかしたら似た意味の地名なのかもしれない。

蘭越(らんこし/ランコウシ)

しかしどうだろう。因果関係が逆ということはないだろうか。つまりは松浦武四郎がラコシマナイと書いたのを見て、後に入植した和人が「桂の沢」と誤訳してしまった……。そういう可能性も考えられなくもない。そのため、アイヌ時代にここで本当にカツラの木に彼らが注目していたかどうかを考えなくてはならない。

舟を切り出す沢

辞書にある通り、アイヌは主に船材としてカツラの木を利用したようだ。丸木舟のことをアイヌ語で〈チプchip〉という。

イタオマチプ。桂の木で作ったアイヌの舟(サッポロピリカコタン)

ここで餅屋沢の隣の沢の名前が気になった。

餅屋沢周辺の支流名

チプタシナイ沢!そのままの名前の川がある。〈チプタウスナイchip-ta-us-nay〉で「丸木舟をいつも切り出す川」の意味である。横にはそこから名前を取った「船取山」がある。

船取山山頂。降雪期のみ登ることができる。

さらに隣の畚部川の支流はチプタヲマンヘもしくはチプタフンコエとあった。〈チプタヲマンペchip-ta-oman-pe(t)「丸木舟を切りに行く所」〉だろうか。

2つのチプ地名に囲まれた餅屋沢が〈ランコシオマナイranko-usi-oma-nay「桂の群生地に入る川」〉と呼ばれるのは偶然だろうか。あまりにも出来すぎていると言わざるを得ない。おそらくこのあたりの上流・毛無山の麓あたりに桂の木の群生地があり、アイヌはそこへ丸木舟の材料となる太い木を切り出しに行ったのだろう。

消えてしまった桂の群生地

惜しむらくは、和人が鰊漁をするようになってから、燃料や小屋作りのために幕末から戦前にかけてこのあたりはすっかり禿山になってしまったらしい。

今日ハツシヤフ並に銭箱ぜにばこ等に休息致せしを、皆浜番屋はむしろ構ひにて板を不用もちいず、また其外の出稼も一切板を不用は何故やらん。 此処の出稼と申は、中々フトロ、クトウ辺の運上屋よりも人数多きに付、又上り荷物も多かるべきにと尋しが、此処は惣て出稼と申せども三十人、四十人位づゝ一軒にて遣ひ候間、実に大暮しなり。其にて山々の材木を切取る時は、山の材木時に切尽すべし。其故に是を禁じ置事。またタカシマも材木不足にて、是はヲシヨロと並び場所故、 皆ヲシヨロ山より切出すなり。右等の儀に付サクリ板を打候事を法度致すよし申たりける。

『竹四郎日誌 按西扈従』松浦武四郎

これはオタルナイ(新川河口)を通ったときの日記だが、ひどく木材不足になっており、勝手に木を切ることが禁じられたことが伝えられている。わざわざヲシヨロ山まで切り出しに来たようだ。この「忍路山」とは、蘭島川水源の「毛無山」だと思われる。忍路の土場沢の「土場」とは木を切り出して一時的に置いておいた場所に由来する。

そのためアイヌ達が舟のために使っていた桂の木材もすっかり切り倒されてしまい、今はほとんど残っていないだろう。実際山地を歩いても、植林された若いエゾ松などが多く、舟になりそうな太い桂の丸太はもう見当たらない。もはや桂の群生地ランコシではなくなってしまったのだ。

まとめ:蘭島の本当の地名解は?

ここまで色々な地名解を見てきた。どれが一番正解に近いだろうか?まさに千差万別で、どれも正しいとも間違いとも言い切れない。しかしそれが地名研究の面白いところでもある。

発音綴り解釈
ラオシマナイra-osma-nay下方に突っ込む川
ラウォシマナイraw-osma-nay沈む川
ラオシュマナイra-o-suma-nay低い所にある岩川
ランシュマナイran-suma-nay石の落ちる川
ラオシマクナイra-osmak-nay低い処(坂)の後ろの川
ランコシオマナイranko-usi-oma-nay桂の群生地に入る川
蘭島の地名解

個人的には、「桂ノ沢」という地名が残っており、周囲に丸太船の切り出しに関わる地名があることから、〈ランコシオマナイranko-usi-oma-nay「桂の群生地に入る川」〉というのはなかなか妙案であると思う。ただし、記録されている表記と比べてやや音が長すぎるという批判は当然あるだろう。他にもっといい綴りがあるとしたらぜひ教えて欲しい。

他の地名解もそれぞれ面白いエピソードがあるので、色々比較しながら考えていくのも楽しいものだ。

蘭島を通ったときは、ぜひその美しい風景を見ながら由来について考えてもらえると嬉しい。

蘭島漁港

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