小樽中心部の山の名前

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勝納川周辺の山

山の名前というのは誰がつけたのだろう。目立たず、名も無い無名峰のように思えても、実は名前がついていたりする。

南小樽駅のそばを勝納川が流れており、小樽中心部で最大の川となっている。この勝納川の周辺の山で地理院地図に名前が載っているのは「(小樽)天狗山」「於古発山」「毛無山」の3つだけである。また山頂標識があり登山家に知られている山は「上二俣峰山」「遠藤山」「大曲山」「船上山」などがある。それ以外のピークにも様々な名前がつけられている資料を発見したので、地図に落とし込んでみた。

小樽中心部の山の名前

主に参考にしたのは明治16年の「札幌県公文録・山林罹災之部/勧業課山林係」で、一応公文書なのでそれなりに正当性はあると思われる。また一部は大正12年の「小樽市郷土誌 児童用」。そして大正10年頃に小樽の郷土史研究家である五十嵐鐵先生が書いた資料を用いた。ただしこの資料はあらゆるピークに名前を振っているので、代表的なものだけ取り上げることにした。

それぞれの山について簡単に見てみよう。なお▲は三角点名称である。

小樽天狗山

533m。▲天狗山。正式名称は「天狗山」だが、小樽には銭函天狗山と朝里天狗岳、また札幌南区にも定山渓天狗岳、小天狗岳などがあるので区別するために「小樽天狗山」と呼ぶ。山頂の施設やスキー場名でもこちらが使われている。

松浦武四郎の日誌に時々出てくる「シュマサン」とは小樽天狗山のことだろうか。suma-sanシュマサン〈岩が突き出る〉。山越えしてくる虻田アイヌからの聞き書きとして「山頂は峨々たる岩のみにして処々に岩窟あり」とする。第三展望台のあたりは岩が露出している。ただもしかすると松倉岩あたりの説明と混同していた可能性はある。

小樽天狗山ロープウェイ
小樽天狗山第三展望台

大曲山

582m。▲大曲。大曲の由来は勝納川の奥沢水源地の少し上流にある、大きく川が蛇行しているところである。このあたりを昔から「大曲」といい、三角点名として転用されたことからこの山も「大曲山」と呼ばれるようになったのだろう。

小樽天狗山の裏手から於古発山の登山道がついているが夏は笹で茂り歩きにくい。途中、「大曲展望所」というのがあるが、すっかり木が茂ってしまっていてこれ目当てで行くと拍子抜けするかもしれない。この登山道は「天狗平」と呼ばれ、かつては山火事を食い止める火防線だったらしい。明治16年にこのあたりでも大規模な山火事が起きている。

大曲展望所

於古発山

708m。於古発山おこばちやま。さして目立つ山でもなく、後ろの遠藤山のほうが存在感がある。三角点もそちらにある。ただ昔からこの山が於古発山のようである。山名は麓を流れる於古発川から。アイヌ語の意味ははっきりしないが、いまのところokom-pa-chisオコㇺパチㇱで〈イルカの頭の立岩〉説を推している。

於古発山山頂。眺望はなくあまり目立たないピーク。

北大瀧山/遠藤山

735m。▲蚕発山おこばちやま。大正12年の小樽郷土誌には「北大瀧山」とある。由来はおそらくすぐ下にある穴滝だろう。このあたりで一番高い山で山頂も目立つが、木が生い茂っているため眺望はあまりない。

一般には「遠藤山」と呼ばれている。北大の遠藤博士がスキーで登ったからだとか、この付近にハマエンドウが多いことから来ているとも言われているが定かではない。いつ頃からそう呼ばれるようになったかはわからないが、昭和34年の新聞記事に「遠藤山」とあった。山頂標識もこちらである。

小樽天狗山・塩谷丸山・塩谷毛無山・穴滝の四方向に繋がる道が伸びている。またかつての忍路郡・塩谷郡・余市郡の三方界でもあった。小樽で唯一の一等三角点。その割にはあまり重視されていないように思う。

遠藤山山頂。ここから4つの道が伸びている

勝納山

637m。由来は勝納川の水源であることから。登山道はなく未踏破だが降雪期なら遠藤山から歩いていけそうな気がする。

小樽市の境界が遠藤山から2.4kmほど南に伸びているが、その中間近くに位置している。すぐ南の651m峰のほうが小樽・赤井川・余市の三方界になっており地図上ではこちらのほうが重要そうに思う。ただ現地で見るとたしかにこちらの637峰のほうが目立つ形をしている。なお五十嵐先生の資料では651峰のほうは「第一南滝山」とあった(そして第二南滝山は688峰)。

勝納赤岩より。左の目立つピークが勝納山。右は遠藤山。

竹松山

471m?どうにもはっきりしない山。於古発山と雨乞の滝の中間辺りにある小ピークではないかと思う。これでも明治の札幌県の文書に載っている山名である。雨乞の滝の手前の支流が「竹松の沢」なので、由来はそこからだろう。未踏破だが送電線がすぐ近くを通っているので登れるかもしれない。

勝納赤岩より。奥が天狗平、左が大曲山、中央手前の小ピークが竹松山か

青獅子山

482m?これもはっきりしない山。これも札幌県の文書にあり。林道の途中に「黒文字の沢」と「青獅子の沢」が横から流れ落ちてくるところがある。この沢を登っていくと、上の方に黒い大きな岩盤の丘が見える。

黒文字の沢の奥。近づくと左手に滑滝がある。

赤井川山

697m。▲小樽峠。小樽峠のすぐ近くにあるピーク。たぶん北の斜面にある勝納赤岩が由来のような気がする。あるいはもしかすると赤井川村との境界にあるから「赤井川山」なのかもしれない。山の向こうには赤井川村の「小樽川」がある。五十嵐先生の資料では「二角山」。

突き出た勝納赤岩

松倉山

711m。地理院地図には「松倉岩」とある。松倉岩は小樽市街からもよく見える兎の耳のような形をした二股の岩で、近くで見るとなかなかの迫力がある。この近くに松倉鉱山があった。小樽峠からの登山道は荒廃しており夏に行くのは大変らしい。

松倉岩

白井川山

656m。二股峰から松倉岩までは広い尾根になっており、降雪期は歩きやすい。白井川山はその峰筋がクランク状になっているところ。このあたりで熊の足跡が横切っているのを見た。

由来は白井川林道の通っている「白井川」から。ただし明治初期の地図に「シロヱカハ山」とあり、永田地名解に「シュマレタラナイ」とあることから、松倉岩がsuma-retarシュマレタラ〈岩が白い〉で、川の方が後から名前がついたのかもしれない。なお白井川というのは勝納川支流だけでなく余市川支流にも豊平川支流にもあるので紛らわしい。

松倉鉱山跡。ところどころに大岩石が露出している。

上二股峰山

780m。山頂標識が一応あるのだが、どこが山頂かが非常にわかりにくい。▲奥澤や751mピークは山頂ではなく、地理院地図をよく見ると等高線が小さな丸を描いているあたりである。林道からは大きく外れている。この山はとても平らで段差がなく、冬はスノーモービルの練習場にもなっているようである。二股峰の由来は、天神あたりから見ると文字通り二股の峰になっていることからだと思うが、あるいは勝納川支流二股沢から来ているのかもしれない。よく見ると朝里川温泉スキー場の頂上にもあたる。明治の朝里村の地図では「焼山」とあり、山火事があったのかもしれない。

上二股峰山山頂標識。ほぼ平らな山頂である

下二股峰山

702m。これだけはどこの資料にも載っていなかったので、ここで名前をつけた山である。一般にはいわゆる「毛無山」と思われているところ。気象観測塔の丸いタワーが目印。山頂の施設の名前を見ると「毛無山」となっているので、実質的にはこちらが毛無山でもいいのかもしれない。

小樽市内のあちこちから見える丸い気象観測レーダー

毛無山

518m。▲毛無山。小樽に毛無山は二つあるが、朝里寄りのほう。「毛無峠」や「毛無山展望所」があるので馴染みのある山である。ただし山頂に登った人はあまりいないのではないだろうか。昔の毛無峠の道路は山頂の裏側を通っていた。山頂は細尾根になっており、降雪期でも行くのは少し苦労するが、防風の板が設置されているのでそれを頼りに行くといいかもしれない。

毛無山の由来はアイヌ語のkenasケナㇱ〈林〉説と、ハゲ山説がある。明治初期の地図に「御留山」とあり、禁伐林になった可能性を考えるとハゲ山説のほうがなんとなく軍配が上がりそうである。

毛無山展望所

ラウナイ山

400m。▲金山。金山というのは松倉鉱山の空中索道がこのあたりを通っていたことからだろうか。ラウナイとは rawne-nayラウネナイ〈深い川〉で、宏栄社の裏の天神沢がラウネナイである。スキーの滑降競技が行われたこともあるらしい。西向かいの峰は登ったことがあるが、こちらの峰は未踏破なのでいずれ登ってみたい。

小樽天狗山より。奥は二股峰山。一番右手前に伸びる尾根がラウナイ山。
毛無山の滑降競技/おたるなつかし写真帖第二編より

オネナイ山/天神三角山

254m。▲三角山。天神三角山と呼ばれることもある。オネナイの由来は勝納川支流・恩根内から。onne-nayオンネナイ〈主要な沢〉。降雪期に一度登ったことがあるが山頂付近は細く切り立っており意外と難しかった。小樽市街や環状線を眺めることが出来、眺望はわりと良い。岩があちこち露出しており、明治時代にこのあたりで採石をしていた記録がある。

オネナイ山頂より。右の道路は望洋台の方から降りてくる小樽環状線

秋葉山

66m。▲銀鱗荘。平磯公園の丘。秋葉山の由来は文久三年にここに置かれた秋葉山大権現から。本山は静岡にある。秋葉山大権現の日は太平洋戦争中に砲台を設置するために取り除かれてしまったらしい。このあたりから小樽築港方面を見ると眺めがいい。

平磯公園から眺めたウイングベイ小樽

船上山

87m。▲住吉社。小樽住吉神社の裏手の山。かつてここにチャシ(砦)があったらしい。入り口には鎮守の森プロジェクトの看板が経っている。

一応山頂標識もあるが、市街地の中にある割には登る人は少ない。眺望は多少あるのだが木々が結構茂っていて肝心の市街地が隠れ気味であり惜しいところ。漫画ゴールデンカムイでもたびたび使われた小樽の町並みを一望するカットは、明治42年にここから撮られた写真を元にしている。

漫画「ゴールデンカムイ」より/著・野田サトル
船上山より

嵐山

89m。小樽公園の山。正確には市民会館のあるところが嵐山で、他に西山・東山もあるが、ここはまとめて小樽公園の丘を「嵐山」と呼ぶことにする。京都の嵐山にあやかったのだろうか。見晴台のところからはなかなか眺めがいい。

嵐山見晴台より

水天宮山

56m。▲水天宮。堺町商店街の裏の水天宮がある山。昔から小樽の中心に位置する丘で、かつてはオタルナイとタカシマの境界を成していた。重要眺望地点にも指定されており、ここから見る小樽港はなかなかいい。また市街地の中心にありながらも結構静かなところになっている。

水天宮山より

三角山/旭山

190m。旭展望台があることから旭山と呼ばれることも多いが正式な呼び方ではない。かつてはハゲ山だったらしく、ここからスキーで滑ることも多かったようだ。今は少し木が茂って駅のあたりが隠れるが、それでも眺めはとても良いところである。このあたりにはたくさんの遊歩道が整備されている。

旭展望台

津軽山

286m。▲稲穂町。旭展望台の背後にある、このあたり一帯の頂上となる山。特に眺望はないのだが小田観螢歌碑があり、そのための道路が伸びているので山頂まで車で行くことができる。

小田観螢歌碑

牧場山

445m。▲伍助沢。おたる自然の村キャンプ場やおこばち山荘があるところ。名前からするとかつては牧場だったのだろう。五十嵐先生の資料にのみ出てくる山名。天狗山観光道路の途中にある。またここの車を停めて遠藤山のほうまで歩いていくこともできる。

おたる自然の村のおこばち山荘

登山ルート

現在の登山道

林道・登山道ルート

登山ルートは大きく二本あり、小樽天狗山の峰伝いに奥へ行く登山道と、勝納川に沿って穴滝のほうへいく林道がある。

またそこから塩谷丸山や松倉岩方面にぐるっと回っていくこともできるが、小樽峠~上二股峰間は道がないので降雪期限定である。遠藤山から塩谷毛無山のルートも夏は道がない。

降雪期であれば歩けるところはさらにたくさんあるが、地形図や傾斜量図を見てて判断していきたい。

昔の小樽峠

現在の小樽峠は「奥沢林道」と呼ばれるものだが、かつては様々なルートでこの山を越えていた。

昔の小樽峠

この勝納川上流部はアイヌ時代から重要な峠道だった。春になると有珠山の麓の虻田コタンからアブタアイヌが山越えをしてやってきて、小樽に出稼ぎに来たそうである。

このアブタ越えの峠道ルベシベは水源地のあたりから山峰にとりついたものだと思われる。そこから二股峰のほうへ抜け、キロロの長峰を通って朝里岳を越え、余市岳のほうへ抜けていったものと思われる。地図もGPSもなしに、壮大な山越えである。彼らの道標となったのは巧みに地形を読む経験と、沢一つ一つに名付けられた地名だったことだろう。

明治時代になると軍事道路が開かれる。軍事道路といえば張碓~朝里間のものが有名だが、小樽ではここも含めて合計三本引かれている。そのルートは勝納赤岩脇を登っていくものであった。

また赤井川の中心と直接結ぶ山梨道路というのも開かれたこともあるが、今はすっかり廃道になっている。

ルベシベや軍事道路跡は降雪期に一部区間を歩いてみたことがあるが、たしかに大きな谷などはなく歩きやすい感じだった。ただ道はなく、その後も植林や伐採のための作業路が新たに敷かれていたりするため、その痕跡はほとんど見えなくなっている。

昔の人の足跡を追いかけながら歩いてみるのも面白いものである。

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