位置名詞とは
例題:岬をあらわす地名
次の3つはいずれも岬などをあらわす地名である。さて仲間はずれはどれだろう?
- sir-pa〈山の頭〉
- sir-etu〈山の鼻〉
- sir-etoko〈山の先端〉
「シリパ」「シレト」「シレトコ」という地名は全道各地にある。どれも同じような文法構造に見えるが、etu は名詞で、pa や etok は位置名詞である。この位置名詞とは一体何なのだろう。
間違いの多い位置名詞
「位置名詞」はアイヌ語に存在する品詞の一つで、その名の通り「名詞」の親戚にあたるが、名詞とは似て非なるものである。その使い方は名詞とは異なっており、名詞と位置名詞の違いに注意していないと、トンデモ地名解を打ち立ててしまうことになる。
位置名詞の理解なしに、アイヌ語地名の解読は難しい。しかしながらそれを簡潔に解説したテキストが無い。一般アイヌ語に関してはあるが、地名に特化したものはあまり見かけない。
この記事で正しい位置名詞の使い方を理解して、説得力のある地名解を導き出せるようにしていこう。
位置名詞の4つの用法
位置名詞には4つの用法に分けることができる。主な2つは「後置修飾」と「前置型位置名詞」で、その他に「オロフレ構文」と「独立用法」がある。
実際に使われている具体例を見ながら解説していこう。
第1用法:後置修飾
名詞を位置化する “or”
後置型位置名詞の中で最も代表的なものが or〈~の所〉 である。これを使って位置名詞の基本的な使い方を見ていこう。
アイヌ語地名において、名詞1つで地名になることは滅多にない(一部の例はある)。名詞の後ろに位置名詞 or をつけて地名化する例が非常に多い。
- nay-or〈川の所〉
名寄は or 地名の代表的なもののひとつで、nay〈川〉 に or をつけて〈川の所〉の意味である。「~の所」という部分には特に深い意味はなく、訳出するうえで便宜上つけているに過ぎない。「名詞に or をつければ地名になる」くらいの意味合いでとらえておこう。
ただし、or の前に来るのは必ず 名詞 である。これが動詞や他の品詞であってはいけない。たとえば sap-or の sap はここでは動詞ではなく、〈突き出した山〉という意味の名詞になる。すなわち藻岩山の麓のことである。
文法構造:[主語名詞]+[位置名詞]
or を使った地名の例
- 札幌:sap-or〈山崎の所〉
- 野幌:nup-or〈野原の所〉
- 士幌:sup-or〈激湍の所〉
- 美幌:pip-or〈沼地の所〉
- 羽幌:hap-or〈ハナウドの所〉
- 名寄:nay-or〈川の所〉
- 小樽:ota-or〈砂浜の所〉
- 忍路:us-or〈入江の所〉
- 塘路:to-or〈湖の所〉
- 根室:mem-or〈湧水の所〉
- 古宇:hur-or〈坂道の所〉
- 広尾:pir-or〈渦(入江)の所〉
- 沙留:sar-or〈湿原の所〉
or 地名は非常に多く、よく使われている。とくに「~幌」は or 地名であるものが多い。
or 以外の後置型位置名詞
or 以外の位置名詞の使い方も見てみよう。基本的な使い方は or と同じである。すなわち、名詞に後置して使う。
- ota-or〈砂浜の所〉:小樽
- ota-sut〈砂浜の端〉:歌棄
- ota-noski〈砂浜の真ん中〉:大楽毛
位置名詞を入れることで、砂浜のどのあたりであるかがより詳しくなった。なおオタノシケはよく「浜中」と和名に訳されて地名になっていることが多い。
- sir-pa〈山の頭〉:尻場山/余市の山
- sir-etok〈山の先端〉:知床岬
- sir-kus〈丘の背後〉:尻櫛/忍路の小地名
- sir-sam〈丘の傍〉:石狩花川の小地名
- sir-pok〈丘の下〉:汐首岬/亀田半島の南端
- sir-utur〈丘の間〉:汁取/剣淵町の小地名
sir〈山・丘〉ひとつとっても、これだけ修飾の幅がある。
位置名詞を使った地名の例
- 洞爺:to-ya〈湖の岸〉
- 宗谷:so-ya〈磯岩の岸〉
- 磯谷:iso-ya〈磯谷の岸〉
- 手宮:tem-mun-ya〈甘藻の岸〉
- 白糠:sirar-ka〈岩の上〉
- 野塚:nup-ka〈野原の上〉
- 平取:pira-utur〈崖の間〉
- 留寿都:ru-sut〈山道の端〉
名詞として振る舞う第1用法
位置名詞で修飾した名詞は、まるでひとつの名詞であるかのように振る舞う。
そのためさらに他動詞と名詞をつけて地名とすることができる。他動詞とは o、oma、un、us、kus などの「~にある」を表す語である。
文法構造:[名詞] + [位置名詞] + [他動詞] + [主語名詞]
or地名の発展型の例
- {sap-or}-o-pet〈山崎にある川〉:札幌川
- {nup-or}-o-pet〈野原にある川〉:野津幌川
- {ota-or}-un-nay〈砂浜にある川〉:小樽内川
- {ota-or}-oma-nay〈砂浜にある川〉:オタルマナイ川
- {ota-or}-oma-p〈砂浜にあるもの〉:オタロマップ川
- {ta-or}-oma-i〈川岸の高所にある所〉:樽前山
※母音が連続すると片方が落ちることが多い(ota-or → otar)。またウ音とオ音はよく化ける。
間に入っている他動詞が見過ごされることが多いが、この用法で他動詞を欠くのは綺麗な地名解とは言えない(ota-or-nay、nup-or-pet など)。
あるいは、[主語名詞+位置名詞]で主語となり一つの名詞として修飾されることもある。
修飾される主語名詞+位置名詞の例
- poro-{sir-pa}〈大きな岬〉
- rep-un-{not-ka}〈沖側の崎の上〉:礼文塚
位置名詞の短形と長形
位置名詞には「短形」と「長形」がある。この第1用法ではどちらを使うこともできる。
- 名寄:nay-or / nay-oro〈川の所〉
- 知床:sir-etok / sir-etoko 〈大地の先端〉
- 留寿都:ru-sut / ru-sutu〈山道の端〉
or は後ろに何も無いと oro との区別が難しく、実際にどちらで使われているのかわからない。第一用法では特に断りがなければ短形で書かれることが多い。しかし sir-etoko のように一貫して長形で表れている地名もあり、どちらで表記しても間違いではないと思われる。ただし短形・長形どちらも使えるのはこの第1用法のみで、この後出てくる残り3つの用法ではどちらを使うか固定される。
また長形には etoko だけなく etokoho などさらに長い長形もあるが、地名ではまず出てこないので省略する。
代表的な後置型位置名詞
第1用法では後置型位置名詞がよく使われる。地名でよく使われる代表的な位置名詞をいくつか紹介しよう。
意味 | 短形 | 長形 |
---|---|---|
* | or | oro |
上 | ka | kasi |
下 | pok | poki |
先端 | etok | etoko |
末端 | kes | kese |
頭 | pa | pake |
背後 | kus | kusi |
岸 | ya | yake |
そば | sam | sama |
間 | utur | uturu |
中央 | noski | noskike |
端 | sut | sutu |
手前 | tukari | tukari |
第2用法:前置型位置名詞
代表的な前置型位置名詞
意味 | 短形 |
---|---|
後ろ/奥 | mak |
前/浜の方 | sa |
山の方 | kim |
沖の方 | rep |
浜の方 | pis |
川上 | pena |
川下 | pana |
高い所 | rik |
低い所 | ra |
岸の方 | ya |
前置型位置名詞にも長形は存在するもの、地名で見ることはほとんどない。また、mak、ya、etokなどは後置でも前置でも使われているところが見られる。
前置型位置名詞の使い方
前置型位置名詞は、必ず他動詞を伴う。他動詞とは o、oma、un、us、kus などの「~にある」を表す語である。
文法構造:[位置名詞] + [他動詞] + [主語名詞]
- mak-oma-nay〈奥にある川〉:真駒内
- mak-un-pet〈奥にある川〉:真勲別
前置型位置名詞はこのかたちで登場する。他動詞を伴わない使い方は基本的に誤りだと思ったほうがよい(mak-petなど)。
第2用法の地名の例
- rep-o-nay〈浜の方にある川〉
- rep-un-kotan〈浜の方にある村〉
- kim-un-kotan〈山の方にある村〉
- kim-kus-kotan〈山の方にある村〉
- kim-o-pet〈山の方にある川〉:喜茂別
- rik-un-pet〈高い所にある川〉:陸別
- ra-us-i〈低い所〉:羅臼
- e-sa-us-i〈頭が前にある所〉:枝幸・江差
位置名詞の連体詞化
この前置型位置名詞は ke などを伴って連体詞化することがある。
- penke-to〈上流の沼〉
- panke-to〈下流の沼〉
代表的なのはこの〈上流/下流〉を表す「penke/panke」だが、他にも少量見られる。「yanke/sanke」などは従来、動詞として説明されることが多かったが、keをつけるといずれも他動詞化してしまうため、これらは動詞ではなく連体詞として働いていることがわかる。
意味 | 位置名詞 | 連体詞 |
---|---|---|
上流の | pena | penke |
下流の | pana | panke |
沖側の | rep | repunke/ko |
陸側の | ya | yanke |
前方の | sa | sanke |
これとは別に、後置型位置名詞で pok-ke などkeをつける例が見えるが、それらのつく仕組みはよくわかっていない。この -ke はあってもなくても意味は変わらないように見える。
連体詞化した位置名詞の地名例
- panke-i〈下流の所〉:盤渓
- yanke-sir〈陸側の島〉:焼尻
- repunke-p〈沖の方〉:礼文華
- repunko-tomari〈沖側の泊〉:礼文古泊
- sanke-pet〈前方の川〉:三毛別
第3用法:オロフレ構文
特殊なオロフレ構文
「後置の位置名詞」「前置の位置名詞」という2つのくくりに分けたが、「後置の位置名詞を前置する」というなんとも説明しにくい用法がある。これは例を見たほうが早いだろう。
文法構造:[位置名詞の長形] + [自動詞] + [主語名詞]
- oro-hure-nay〈中が赤い川〉:オロフレ
- oro-wen-nay〈中が悪い川〉
こういうパターンの地名が稀に出てくる。これを「オロフレ構文」と呼ぼう。
オロフレ構文のポイントは、位置名詞の長形を使うことである。長形にすることで、名詞から切り離して後置位置名詞を使うことができる。oro-hure-nay の oro が修飾のしているのは nay の部分で、実は oro が無くても文法的には成立してしまう。しかし頭に oro をつけることで、赤いのが川の中であることをよりはっきりと示している。
オロフレ構文の地名例
- oro-pirka-nay〈その中が綺麗な川〉
- oro-kunne-p〈その中が黒い所〉
- sama-an-i〈それの傍にある〉:様似
- o-sama-an-pe〈川尻の傍にある所〉:長万部
第2用法との違い
この第3用法は第2用法と一見すると区別しにくい。
- 第2用法:[位置名詞の短形] + [他動詞] + [主語名詞]
- 第3用法:[位置名詞の長形] + [自動詞] + [主語名詞]
こういったものは、動詞の結合価の項数で説明されることがある。ややこしくなるので結合価についてここでは詳しく取り上げないが、長形を使った第3用法では項の数を増減しない。一方、短形を使った第2用法では、動詞の項数を消費する。この考えを理解すると、次の複雑な地名も理解できるようになる。
- 宇登呂:uturu-chi-kus-i〈その間を我らが通る所〉
このウトロは第2用法でも第3用法でもない。ここで使われている kus〈通る〉という語は他動詞であるため、名詞を2つ取る。uturという短形であると3つ目の名詞が表れてしまうので、ここは長形の uturu にして項数を消費しないようにする。
このような考え方で見ると、第2用法と第3用法をまとめて理解することができる。
第4用法:位置名詞の独立化
位置名詞→一般名詞
位置名詞はあくまでも修飾語としてはたらき、単独で地名になったり、動詞などに修飾されることはない。ところが例外的にそれが可能になるケースがある。それが位置名詞の独立化で、必ず長形を用いる。
文法構造:(修飾部) + [位置名詞の長形]
独立化した位置名詞の地名例
- sutu〈その麓〉:寿都
- ota-un-kusi〈向こうの砂浜〉:歌越
- so-us-poki〈滝の下〉:星置
- to-un-kese〈沼の端〉:富岸
一般名詞の位置化
一般名詞の1語地名
第4用法に少し似たケースとして、位置名詞ではない一般名詞でも、単一で地名になる時は長形(所属形)にすることが多いように思う。ここであわせて取り上げておきたい。
文法構造:[一般名詞の所属形]
一般名詞の1語地名の例
- 斜里:sari〈その草原〉/sar の所属形
- 奈井江:naye〈その川〉/nay の所属形
- トマム:tomam〈その湿原〉/概念形と所属形が同じ
- ヌッチ川:nuti〈その瀞〉/nut の所属形
一般名詞→位置名詞
また一般名詞を長形(所属形)にすることで、まるで位置名詞の第1用法のように扱うことができる。
文法構造:[主語名詞] + [一般名詞の所属形]
一般名詞の位置名詞化の地名例
- 夕張:yu-paro〈温泉の入口〉/paro は parの所属形
- シレト:sir-etu〈山の鼻/岬〉/etu〈鼻〉は概念形と所属形が同じ
- 屈斜路湖:kut-charo〈喉口〉/charo は charの所属形
- 江別太:{ipe-ot-i}-putu〈江別の川口〉/putu は putの所属形
というわけで、記事の最初に示した sir-etu の etu は一般名詞を位置名詞化したものだったのである。
位置名詞のまとめ
4用法のまとめ
- 1:[主語名詞] + [位置名詞の短/長形]
- 2:[位置名詞の短形] + [自動詞] + [主語名詞]
- 3:[位置名詞の長形] + [他動詞] + [主語名詞]
- 4 : (修飾部) + [位置名詞の長形]
位置名詞を使った地名は、概ねこの文法構造にあてはめて理解することができる。ウトロなどこの枠に完璧にはあてはまらない地名もあるが、この4つを理解すれば、その文法構造も見えてくることだろう。
練習問題
ここで少しだけ練習問題を出してみたい。岩内の雷電岬の刀掛岩と、雷電温泉郷をあらわした地名である。
- エトクウシホロシレパ
- エクシュアントマリ
これをそれぞれ訳せるだろうか。なお『永田地名解』や『データベースアイヌ語地名 後志1』では次のように解釈している。
- etu-ko-us-poro-sir-pa〈鼻がそこについている大岬〉
- etu-ko-us-i-an-tomari〈鼻がついている岬にある泊〉
ただここまで読んできたのなら、この地名解に疑問を感じるに違いない。この2つの地名、どのように解釈したらよいだろうか。
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