室蘭の由来 ~モロラン?モルエラニ?~

地名の由来

室蘭

美しい室蘭の自然

室蘭に初めて訪れたのは去年の夏のことである。

蓬莱門/ムカリショ

「蓬莱門」というのが一度見てみたくて、干潮に間に合うように朝4時に小樽を出発して、登別でひと風呂浴びた後に、朝8時半に蓬莱門のある浜についた。それは言葉を絶するほどの美しい光景だった。惜しむらくは写真が下手でいまいちその魅力を伝えきれないことである。

ついでに室蘭を少し観光してみようと思った。室蘭について何も知らない、初めての訪問で、何の前知識もなかったので、気の向くままに海岸沿いにぐるりと回ってみたところ、驚くほどたくさんの美しい光景があり、さらにそのアイヌ語地名が丁寧に紹介されている。素晴らしいところだった。

ウクシハウシ

なかでも一番のお気に入りはウクシハウシの大岩である。機会があればまたゆっくりと訪れたいものだ。

モロランの位置

さて、室蘭といえばあのクック船長の鉤爪のような半島が特徴的なところである。半島の南端には地球チキウ岬がある。半島の西の先端から根元の方へと白鳥大橋が美しく伸びていて、室蘭のシンボルとなっている。

実は「ムロラン」の地名はもともと半島の方ではなく、白鳥大橋の根本の方、崎守駅のあたりにあったというのは地理好きの人にはよく知られた話である。あの特徴的な半島は絵鞆エトモと呼ばれ、江戸中期の史料を見るとモロランよりもエトモのほうが古い時代から出てくる。根本のモロランの方に陣屋ができたので、やがて絵鞆半島を含めたこのあたり一帯の地名が室蘭になったのだろう。

今井八九朗原図に見える室蘭の地名と山道のルート
ムロラン地名発祥の坂/GoogleMapより

小さな坂道

室蘭の既存の地名解

アイヌ語の「モ・ルエラニ」から転化したもので“小さな・下り路”という意味です。崎守町仙海寺(さきもりちょうせんかいじ)前の坂が、ゆかりの地とされています。

室蘭市のあらまし/室蘭市公式HP

さて室蘭の地名の由来を調べると、モルエラニ(小さな坂道)と出てくる。mo-ru-e-ran-iモルエラニ小さな坂がそこで下る処〉。各種地名本や市の公式HPも含め、ほぼすべてこれで解説してある。他の場所のように”諸説ある”とさえ言われておらず、完全に定説になっているように見える。しかしなぜムロランがモルエラニなのだろうか?本当に正しいのだろうか?

ムロランとモルラン

まず大前提として、アイヌ語地名はウ音オ音の取り違いが頻繁に起きる。和語のウとは厳密には少し発音が違うので、和人には聞き取りにくかったようである。ウショロが忍路オショロとなるような例は枚挙にいとまがない。よって「モルラン」が「ムロラン」に転訛するのは全く自然であり、何の問題もない。もちろん「モロラン」でも「ムルラン」でも構わない。旧記類では「モロラン」の形でよく出てくる。

そう、旧記類では「モロラン」なのだ。松浦武四郎、伊能忠敬、間宮林蔵、今井八九朗、最上徳内、誰の地図を見ても全部「モロラン」である。日誌や公文書類でも「モロラン」で、「モルエラニ」などはどこにも出てこない。

『伊能大図』より/絵鞆半島の南岸は測量されておらず海岸線が曖昧になっている

モルエラニが転訛してモロランになったのだ、という説明も見かけるが、アイヌ語地名の転訛にはかなり厳密なルールがあり、これは転訛の範疇を大幅に飛び越えている。モルエラニがモロランに転訛したというのはだいぶ苦しい感じがするが……。

永田地名解

まずアイヌ語地名解の代表である『永田地名解』から見てみよう。

室蘭郡

①「モルエランホトゥエウシ」(mo-rueran-hotuye-ushi)なり。小坂を下り舟を呼ぶ処の義。
昔、此地山道未だ開けざる以前、絵鞆村のアイヌ小舟にて此地に渡り、山中に猟りし□路小坂を下り「ホトゥエウシ」の岩上に上り、絵鞆の舟を呼び乗りて□るを常とせり。故に名づくと(以上絵鞆アイヌの言い伝えによる)

②幌別アイヌ云。室蘭は「モルイェラン」(moru-ye-ran)なり。髪膿下る義。往時絵鞆アイヌを室蘭に移さざる以前、一老夷あり。此処に住せり癪を病み膿液髪毛より垂下す。人呼て「モルイェラン」と云いしが、遂に地名となりたりと。この説は悪口と云うべし。且「ラン」の語尾にては地名に適せず。

③元室蘭村アイヌ云、室蘭は「モルランナイ」(mo-ru-ran-nai)にて小路を下る川の義。「ホトエウシ」の坂に在らずして村中にある川の名なりと。此説は妥穏なれども場所を異にするは惜しむべし。

④和人某附会して云、室蘭は「モールラン」(moru-ran)なり。肉襦袢にて坂を下る義。昔、婦人あり。山中熊に追われ衣を脱ぎ棄て僅かに肉襦袢のみにて山を下り「ホトゥエウシ」に来り舟を呼び乗りて纔に熊害を免れたり、故に名づくと。此説は取るに足らず

『北海道蝦夷語地名解』永田地名解/(読みやすく編集済)

なんと4つの説が紹介されている!当時でもこんなに混乱していたのだ。ただよく見ると②と④は「この説は悪口と云うべし」「此説は取るに足らず」とあるように、永田方正も全く相手にしていない。結局永田方正は③の「モルランナイ」を採用したようだ。

なお「ホトエウシ」という地名が度々出てくるが、これはモルランの東にある岬の名前で、別の場所の地名である。hotoye-us-iホトイェウシ〈いつも叫ぶ処〉の意味だろうか。ここから絵鞆の舟を呼んだらしい。この岬に「白鳥湾展望台」というのが今もあって、白鳥大橋を眺めることができるようになっている。

ホトエウシから見た絵鞆半島と白鳥大橋

③番に上げられた mo-ru-ran-nayモルランナイ〈小路を下る川〉は一見、一番もっともそうに見える。永田方正はホトエウシと「場所を異にするのは惜しむべし」と言っているが、そもそもモルランとホトエウシは別の場所の地名なので問題無い。ちょうど崎守駅のすぐ横の橋の下を小さな川が流れていて、そこが沢地になっている。これがモルランの川だというのだろう。否定する材料などあるだろうか。

モルランナイの文法エラー

ここに文法的な問題点が出てくるのである。mo-ru-ran-nayモルランナイ というのは、よく見ると文法エラーが生じている解なのだ。どこがおかしいのだろうか?

それは ranラン〈下る〉 が自動詞だということである。

mo-ru-ran-nayモルランナイ を細かく品詞分解してみよう。

まず頭の mo– は〈小さな〉を表す接頭辞とか連体詞とかいわれるもので、名詞や名詞節にくっつけて使う。よく似た意味であるponポン〈小さな〉との違いは、ponの方は自動詞だということである。

二番目の ru は〈道〉を表す名詞。四番目のnayは〈川/沢〉を表す名詞

そして三番目の ranラン は〈下る〉を表す自動詞。自動詞は別名「一項動詞」とも呼ばれ、二項動詞である他動詞と違い、原則として名詞を1つしか持つことができない。にもかかわらずこの ranランrunayナイ という2つの名詞を抱えてしまっている。

英語で例えるなら I go America.〈私はアメリカ行く〉と言っているようなものだ。たしかに意味は通じるが、ネイティブからするとたどたどしさのある表現である。 go は自動詞なので目的語のAmericaを直接持つことができない。正しくは前置詞toを補って、 I go to America.〈私はアメリカ行く〉とすればいい。

英語の前置詞toのような役割を果たすのが、アイヌ語の e– で、ru-ran-nayルランナイru-e-ran-nayランナイ 〈道がそこで下る川〉とすれば文法チェックを通過する。

モルエラニ

そう、モルラニの「エ」の正体はこの e- だったのだ。

このあたりの文法解説は『アイヌ語入門』を書いた知里真志保氏が詳しい。モルエラニはどうにも知里さんっぽさがあるなと思って調べてみたら、やはりモルエラニは知里博士が最初に唱えた説だったようだ。山田秀三先生もこの説を追従し、『アイヌ語地名の研究2』の『ルベシベ』物語にて「ルエラニ」について解説している。

ru-e-ran-nayルエランナイ の最後の nayナイ〈川〉 を形式名詞 i〈それ〉に置き換えたのが ru-e-ran-iルエラニ である。それに接頭辞のmo-をつければ mo-ru-e-ran-iモルエラニ〈小さな道がそこで下る処〉すなわち〈小さな坂道〉が完成する。

この山田秀三先生の地名解が広く受け入れられ、現在も多くのところで引用されている。室蘭の地名解モルエラニの正体はこれではっきりと見えてきた。

モルエラニではない

江戸時代の史料に見える室蘭

室蘭は本当に「モルエラニ」だったのだろうか。江戸時代に見える室蘭の表記を見てみよう。

モロラン『東西蝦夷山川地理取調図』『伊能図』『今井原図』『間宮河川図』『東蝦夷日誌』『武四郎廻浦日記』『蝦夷巡覧筆記』『北夷談』『東行漫筆』『観国録』『絵図面方角道規地名控』『文化蝦夷図』『蝦夷闔境輿地全図』『改正蝦夷全図』『松前蝦夷地嶋図』『松前絵図』『東韃沿海図』…etc
モルラン『享保十二年所附』
ムルラン『木村蝦夷日記』
江戸時代の文献より

代表的なものを確認してみたが、江戸時代の文献ではほぼすべて「モロラン」である。「モルラン」「ムルラン」もわずかに見えるが、これは前述の通りウ音オ音の混同によるものだろう。

「モルエラニ」はどこにも見えない。少なくとも “江戸時代は室蘭がモルエラニと呼ばれていた” というのは誤りだと言うことができるだろう。

「モルエラニ」という表記が初めて出てくるのはおそらく昭和の戦後になってからで、知里真志保博士が唱えたことによるものだと思う。

エトピリカ構文

永田方正氏はその地名解で “「ラン」の語尾にては地名に適せず。”と述べている。どうやら自動詞 ran が語尾に来るのは地名としておかしいと考えていたようだ。知里真志保氏や山田秀三氏も、語尾にあえて形式名詞の i をつけて ran-iラニ にしていることから、語尾に ranラン を持ってくることを避けているように見える。

ところが全道の地名を見ていくと、「主名詞+自動詞」のパターンの地名が時々出てくる。

  • suma-sanシュマサン〈岩が突き出る〉(石山/手宮の地名)
  • suma-retarシュマレタㇻ〈岩が白い〉(張碓の地名)
  • suma-perkeシュマペㇾケ〈岩が裂けている〉(蘭島の地名)
  • nay-poroナイポロ〈川が大きい〉(=内幌/樺太の地名)
  • i-sikariイシカリ〈それ(川)が回る〉(=石狩)

ちょうどこれが etu-pirkaエトゥピㇼカ〈くちばしが美しい〉と同じ文法構造になっているので、個人的に「エトピリカ構文」と呼んでいる。

すなわち、ru-ranルーラン〈道が下る〉ならば文法的になんら問題がない。実際、「ルーラン」という地名は襟裳や濃昼などあちこちにある。エトピリカ構文を使えば、間に「e-」を入れたり、後ろに「i」を付ける必要などないのである。逆に、どちらかだけを半端につけるとエラーになってしまう。

濃昼山道のルーラン/石狩市厚田区濃昼

本当の室蘭の地名解

このエトピリカ構文を室蘭にあてはめると、

  • mo-ru-ranモルラン小さな道が下る

になる。シンプルだが完璧な地名解である。もちろんこれを意訳して〈小さな坂道〉としてもいい。

「エトピリカ」は「エトピリカ」である。たとえ文法的に正しいからと言って、「etu-e-pirka-pエトゥエピリカプ〈くちばしが先端で美しいヤツ〉」がエトピリカの本当のアイヌ語なのだ。というのは正しい主張とは思えない。少なくとも、かつてそのように呼ばれていたという証拠の提出が必要だろう。

「モルエラニ」などという小難しい表現よりも、「モルラン」はずっと素直な解である。江戸時代の和人は、現地アイヌ達がモロランと発音するのを聞き取っていたようである。

200年前の地名考

実のところこの地名解は自分が唱えたものではない。

文政7(1824)年のアイヌ語通訳・上原熊次郎による『東西蝦夷地名考並里程記』で紹介されている。今からちょうど200年前、松浦武四郎の時代よりも半世紀ほど古い時代の書物である。

蝦夷地名考並里程記/上原熊次郎

モロランはアイヌ語の「モルラン」で、「モ」が「小さき」、「ルー」が「道」で、ランが「下る」の意味だと書いてある。

室蘭むろらんの由来は「モルラン」で〈小さな道が下る〉という意味のようである。

しかし肝心の「モルランの坂」を撮り忘れてしまった。次に室蘭へ訪問したときは、必ずカメラに収めておきたい。

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