月寒の由来 ~ツキサップ地名考~

地名の由来

月寒

月寒つきさむは札幌東南部の豊平区にある地名である。

月寒地区とその周辺

月寒川望月寒川という2つの川が流れており、その間に位置するのが月寒地区である。国道36号線(室蘭街道)沿いに栄えている街であり、札幌市に編入される以前は「月寒村」として独立した村落を築いていたこともあった。

新道出来形絵図 4269番~月寒村4340番/明治6年

「月寒」とはなかなか格好いい名前だと思う。英語風にしたらコールドムーン、あるいはルナクール?そして西区の「発寒」とも少し似ているような響きがあるが関係あるのだろうか。

戦前においては軍の街として知られたところでもある。郷土資料館にはそれにまつわる史料がたくさん残されている。

つきさっぷ郷土資料館

月寒の読みは「ツキサム」だが、地元では「ツキサップ」と呼ぶ人も多い。かつて存在した鉄道駅もツキサップ駅だったし、月寒神社のお祭りでもツキサップの文字を何度か目にした。いずれにせよアイヌ語らしい響きをした地名である。

この月寒の地名の由来を考えてみよう。

月寒の既存の地名解

火をおこす処

月寒の由来は河川標識に書いてある。

月寒川河川標識

チ キサ プ 火をおこす処

あかだもの木片をこすり火をおこすところから由来。

『月寒川』河川標識

アイヌ語「チキサプ」で「火を熾す処」の意味があるのだという。地名としては少し不思議な感じがする響きである。

これは松浦武四郎の説に基づいている。

チキシヤフ

名義 昔し婆が火打を忘れしが故に号るとや

『戊午新道日誌』松浦武四郎

「お婆さんが火打を忘れた」ゆえに名付けたのだという。いよいよ謎である。こういう説話的な地名解は怪しいことが多い。一般流通本の『西蝦夷日誌』のほうにまもう少しまともなことが書いてある。

チキシヤブ(小川)

昔し神が火打を忘れし古跡なりと。チキシヤブは火打の事なり。依て奏皮アカダモ チキシヤニといへるなり。

『西蝦夷日誌』松浦武四郎

お婆さんから「神」になっている。それはさておき、アカダモチキシャニ と呼ぶことに触れている。アカダモとはハルニレのことで、英語ではエルムという。北大のキャンパスに立ち並ぶあの木である。

月寒神社のハルニレ

『永田地名解』もこれをベースに書かれている。

Chikisap チキサㇷ゚

火を鑚る處 「アカダモ」の木片を鑚ちて火を取りし處

『北海道蝦夷語地名解』永田方正

ハルニレの発火器

チキシヤブをアイヌ語で解析してみよう。

  • chi-kisa-pチキサプ 〈我ら・もみぎる・処〉

田村辞典によると「kisa【他動】もみぎる(きりで穴をあけるときのように、 とがった先をさしてから回転させて)」。すなわち火をおこす動作のことを指しているのだろう。小樽博物館にもみぎりで火打を試す体験コーナーがあって、昔やったことがある。

アイヌはイチイの枝をハルニレの皮にもみぎって火を起こしていたらしい。火起こしの様子を記したスケッチがある。これは釧路方面を訪問中に武四郎が書いた絵である。

『久摺日誌』

それでハルニレの木のことをアイヌ語で chi-kisa-niチキサニ〈我ら擦る木/ハルニレ〉と呼ぶ。

我らが火打する場所?

ただ火打など、集落があればどこでもやったはずだ。なぜそれが地名になるのだろうか?

また文法的にも問題がある。chi-kisa-p〈我ら擦る場所〉とした場合、擦る対象は p〈場所〉になる。

chi-kisa の目的語は -p か?

―いいかえれば ’われらが・こする’ のは ‘場所’ かといえばドッコイ!そうはいかない。場所をこすって火を出すなどは、およそナンセンスである。この地名を chi-kisa-p と分析して「火ヲ鑚ル處」「木片ヲ鑚リテ火ヲ取リシ處」などと解したのはそもそも無理無茶無法だったのである。

しいてそういう意味に取りたかったら、語法上も無理がないように chi-e-kisa-p「われら・そこにおいて・それを・こす(って火を出す)る・所」などを原形に考え、それの縮約した形として書くべきであった。語法も知らぬ人間が語源を説くと、’場所 をこすってまでも’ 火の無い所に煙を立てるからオソロシイ!

『アイヌ語入門』知里真志保

知里真志保さんらしい、実に熱のある論調である。

ハルニレの木

そのため、chi-kisa-niチキサニ〈我ら擦る/ハルニレ〉をベースに考えて、chi-kisa-pチキサㇷ゚〈我ら擦るモノ〉ととらえ、「ハルニレの木そのもの」を地名としたという説が今日では取られている。

また語尾のプ(-p)を処と読んで来たのであるが、チ・キサ・ㇷ゚(我ら・こする・もの)、つまり「赤だもの木」の意だったのかもしれない(ニの代わりにプが入った形)。それだったら月寒は「赤だも(の生えている処)」の意であったろうか。

『北海道の地名』山田秀三

また、この地名については、後志管内黒松内町にも全く同じ地名の記録があり、そこには現在もハルニレの密度の高い雑木林が存在することから、山田の記している「赤だも<ハルニレ>(生える処)の川」、即ち、「流域にハルニレが群生する川」を表しているものと見なして、上記のように解することとした。

『データベースアイヌ語地名 石狩2』榊原正文

黒松内町に同名の地名があるという。正確には「チキシャニタイ」で chi-kisa-ni-tayチキサニタイ〈ハルニレの林〉である。これの地名はハルニレの群生地という意味で疑いようがない。

月寒も「チキシャニタイ」だったのもがいつの間にか「チキシャフ」に変化したのだろうか。しかし似たような地名となると、日高の浦河町にも「月寒」があって、こちらは未だに「ツキサップ」と読む。こちらも偶然同じような転訛が起きたのだろうか?

月寒の植生

月寒に本当にハルニレが群生していたのだろうか?山田秀三先生の調査によると、月寒川沿いに春楡の木はいくらか生えているようである。

実際に現地で調査してみたところ、隣のラウネナイ流域にハルニレが少し見られた。月寒川沿いについてははっきりとは確認はできなかった。

ラウネナイ川に生えるハルニレ?

江戸時代における札幌周辺の植生の記録を見ると、月寒は「此辺桜草多し」、望月寒は「此処柏木椛多し」(入北記)とある。桜・柏・椛などは多かったようだ。また豊平は「山中柏栗厚朴多し」とある。解読本の注解で厚の所に(ニレ)とルビがふってあるが、これは同じニレでも厚司すなわち「オヒョウ楡」のことではないだろうか。作者の玉虫左太夫は月寒に限らず千歳山道沿いの植生についてかなり熱心に記録している。どうにもチキサニすわなち春楡ハルニレに関してはとくべつ顕著ではなかったようだ。

「チキシャニ(ハルニレの木)」という地名だった場合、それが指すのは「1本の木」ということになる。川もしくはこのあたり一体を指した地名としてはあまり適当でないように思う。

「チキシャニタイ(ハルニレの林)」がツキサップになったという説なら一理あるとは思うが、どうにも疑問符を拭いきれない、すっきりしない解であるように思う。別の説も考えてみよう。

丘の外れの下り坂

月寒の由来の話になると、もう一つの説も並行して語られることが多い。それが「トゥ・ケシ・サプ」で「丘の外れの下り坂」説である。初出は『北海道 駅名の起源』(昭和29年度版)らしい。

  • tu-kes-sapトゥケㇱサㇷ゚〈峰の端が下る/丘の外れの下り坂〉

主要な辞書を見る限りは、 sapサㇷ゚ そのものに「下り坂」という意味はなく、〈浜に向かって出てくる〉という意味である。しかも複数形動詞であり、「たくさんの山峰の端が突き出ている」という感じになるだろうか。「下り坂」はだいぶ意訳した感がある。suma-sanシュマサン〈岩が突き出る〉という地名が小樽の手宮(石山)にあるが、文法構造的にはこれに近い。 sapサㇷ゚sanサン の複数形動詞である。

また tuトゥ は 〈峰/岬〉と訳されることもあるが、峰といえば situシトゥ を使うことが多く tuトゥ 単体で使う例はそれほど多くない。

両説の評価

(チキサプ説は)木片をもんで火を作るならどこでもできるので何か地名として変だ。

北海道駅名の起源昭和29年版「トゥ・ケㇱ・サㇷ゚(丘の・はずれの・下り坂)の転訛と思われる」と、音と月寒台の地形に合わせて巧い案を書いたが、アイヌの間に伝承されていたチキサの音は捨てがたい

『北海道の地名』山田秀三

この地名は従来チ・キサ・プというアイヌ語で、われわれが木をこすって火を出したところといわれるが、どうも地名としてはうなずけない。チ・ケシ・サッで丘のはずれの下り坂がなまったのではないかともいわれているが、もともと川に名付けられた名であるので疑問

『アイヌ語地名解』更科源蔵

アイヌ語の「チ・キサ・プ」(われらが木をこするもの)という説と「チ・ケシ・サㇷ゚」(丘のはずれの下り坂)という説があるが、元来は月寒川に名付けられたものが地名に変わったもので、いずれもうなづきがたい

『札幌地名考』さっぽろ文庫

といった具合で、どちらの説もいまいち納得できない。はっきりしたことはわからない。というのが概ねの評価のようである。特に「丘のはずれの下り坂」説の方が積極的に支持されることはあまりないようだ。

川の地名なのか

上記の地名考で「川に名付けられた名であるので疑問」「月寒川に名付けられたもの」と述べられている。チキサプが月寒川のことを指していると考えているようである。

だがこれはアイヌ地名研究者の悪い癖で、内陸の地名はほとんど川の名前として考えてしまう傾向がある。確かに松浦武四郎はすべて川の名前として記録した。それは彼の著作が「蝦夷山地理取調日誌」とタイトルを冠しているように、徹底的に川の名前について調べたものだからである。

実際には川ではない地名を川として記録している例は非常にたくさんある。あるいは元々川周辺の地名だったものが、川の名前としても使用されるようになったのだろう。今日でもそうやって名付けられた川名は非常に多い。

そのため、ツキサム川という川が現在もあるからといって、チキサプが元々川を指していたかどうかはわからない。

むしろ語尾に pet や nay が付いていないなら、そしてそれが動詞で直接修飾されていないなら、本当に川に付けられた地名かどうかは疑ってかからなくてはならない。結論を先にいうと、たぶんチキサプは川ではないだろう。

月寒についての考察

前置きが長くなったが、ここまでは月寒について一般に語られていることである。これらをふまえて、改めて月寒の語源について考えてみよう。

小山の斜面

バチェラー辞典を開いてみて、興味深い項目を見つけた。

『アイヌ・英・和辞典』ジョン・バチェラー

Chikisap, チキサプ, 斜面, 小山ノ坂ノ面. n. A slope. A hill-side. Syn:Huru-kotoro.

『アイヌ・英・和辞典』ジョン・バチェラー

なんだ、もう答えは出ているじゃないか。バチェラー辞典によると、チキサプで「斜面、小山の坂の面」の意味だという。上の方に火起こしに関する単語も載っているが、これらのなかでどれが地名に関わる単語なのか、一目瞭然である。

月寒の由来であるチキサプは、やはり「坂の斜面」の意味だったのだ。

バチェラー辞典の性格

ここで結論を出して話を終えたいところだが、もう少し検討を重ねなければならないことがいくつかある。まずはバチェラー辞典の立ち位置についてである。

『アイヌ英和辞典 2版』Jバチェラー

イギリス人宣教師ジョン・バチェラーの書いたこの『アイヌ・英・和辞典』通称『バチェラー辞典』は、本格的なアイヌ語辞典としては最初期のものである。それ以前にも江戸時代にアイヌ語通詞(通訳)達が残した単語帳のようなものはいくつかあったが、辞書のかたちで本格的に本になったのはこれが初めてである。初版は明治22(1889)年。なんといっても収録語数が圧倒的で、現代のアイヌ語辞書には載っていないような単語も多数収録されている。

だが当時はまだアイヌ語の文法的な理解が進んでおらず、正確性という意味ではかなり怪しいものがあるようだ。派生単語をばらばらに収録していたり、単語を分解した結果意味を取り違えていたり、その不正確さから後代の批判の対象に晒されてきた。知里真志保氏などは「欠陥だらけの辞書」「見かけ倒しのウドの大木」と自著『アイヌ語入門』の中で16ページも割いて徹底的に批判している。

ゆえに地名研究者の間でもこの辞書はほとんど相手にされておらず、参照すらされていないことが多い。月寒の地名解に関しても、誰もバチェラー辞典に触れていなかったことからすると、そもそも読まれてすらいなかったのだろう。

しかし ‘火のない所に煙は立たぬ’ という。地形に関して率直に表現したこのチキサプという単語が、何の根拠もなく空想から生まれたわけでもあるまい。少なくともアイヌの誰かが「チキサプ」は「坂の斜面」の意味だと伝えたのだろう。「火打の発火道具」などというよくわからない地名解よりもよっぽど具体的である。

だがこのチキサプという単語はアイヌたちの間でもほとんど忘れられてしまっていたため、よく似た単語であるチキサニに引かれて「火打するところ」という由来が語られるようになったのかもしれない。例えるなら和人が「増毛」と聞いてどうしても「髪の毛」のことを連想してしまうのとよく似ている。

念のため時系列を確認しておくが、「丘のはずれの下り坂」という説が初めて世間に出てきたのは昭和29(1954)年で、バチェラー辞典の明治22(1889)年より55年も後のことである。もしかすると『駅名の起源』を書いた人は、このバチェラー辞典を念頭に置いて解釈したのかもしれない。

合成語の検討

アイヌ語の単語というのは、複数の語幹の組み合わせによる合成語から成っている。2音節ないし3音節以上あるような単語は、もっと細かく分解して理解することができる。

わかりやすく言うと、例えば漢字の「最新型自動車」という単語には文字一つ一つに意味がある。「最も、新しい、型の、自ら、動く、車」といった具合で、意味のある漢字を組み合わせることで一つの熟語になっている。熟語になることで、本来とは違ったニュアンスが含まれることもある。

アイヌ語単語も同じように、音一つ一つの意味があって、それらを組み合わせることで合成語(熟語)を作っている。

例えばカスベ(赤エイ)のことをアイヌ語で aykorcepアイコㇿチェㇷ゚ というが、これは少なくとも3つの語からなる合成語である。すなわち ayアイ〈トゲ〉 korコㇿ〈持つ〉 cepチェㇷ゚〈魚〉を繋げてay-kor-cepアイコㇿチェㇷ゚〈赤エイ/トゲ持つ魚〉という一つの単語としている。アイヌ語単語をしばしハイフンを入れて区切るのは、合成語の語幹をわかりやすくするためである。ついでに言うと cepチェㇷ゚〈魚〉も chi-e-pチ・エ・ㇷ゚〈我ら・食べる・もの〉と、元々3つの語から成る合成語である。

chikisapチキサㇷ゚ が仮に〈坂の斜面〉という意味だったとして、この単語がどのような語から合成されたものなのかを検討しなければ、地名解としては片手落ちになってしまう。chikisapは三音節からなる単語で、chi-ki-sapチ・キ・サㇷ゚と分解できるだろうか。あるいは sapサㇷ゚ をさらに分解して sa-pサ・ㇷ゚ とできる可能性もある。

ここからチキサプに秘められた意味合いについて考えてみよう。

トゥケㇱサㇷ゚の検討

そうすると、『駅名の起源』で述べられていた tu-kes-sapトゥケㇱサㇷ゚〈丘のはずれの下り坂〉は chikisapチキサプ の合成語の解釈とみなすことができる。ではこれが正解なのだろうか。

「駅名の起源」の新説は、多分知里さんが考えられたのだろう。月寒つきさっぷに一番近い音と、地形とを照合した驚嘆すべき工夫である。

但し、古い記録を調べると、チキシャフである。古くから キサㇷ゚ ならば tuトゥ の転訛だと考えてよいが、昔が キシャフ であるので、特別の傍証でも無い限り、 だったと考えるほうが自然なのではなかろうか。

『札幌のアイヌ語地名をたずねて』山田秀三

と山田先生は懸念を述べており、やはりチキシャフをベースに考えたほうが良さそうだ。

アイヌ語地名の聞き取り傾向として、ウ音とオ音の取り違いは頻繁にどこでも起きる。またイ音とウ音の取り違いも頻繁に起きるが、語頭に関してはイ音とウ音はめったにブレないという傾向がある。実際開拓使時代にチキシャフがツキサップになったのだから無いとは言わないが、江戸時代にトゥの音で記録されたものが一つもないのでトゥケㇱサㇷ゚説の可能性は薄いと言わざるを得ない。

それでは別の形で解釈してみよう。

崖が下る

  • chikep-sapチケㇷ゚サㇷ゚〈崖が下る〉

これを月寒の自説の1つ目としたい。望月寒川流域には多くの崖が今も残っている。

月寒公園周辺の傾斜量図

chikepチケㇷ゚ は『地名アイヌ語小辞典』によると「切り立った崖」とある。あの室蘭の地球チキウ岬の原名がporo-chikepポロチケㇷ゚〈大きな崖〉であったという。

地球岬

後半の sapサㇷ゚ の方は、基本的に sapサㇷ゚ は〈下る〉を意味する複数形の自動詞であり、「坂道」という意味は主要な辞書には載っていない。ただバチェラー辞典(2版)の san の項目に、

San, サン, 下り、坂. n(名詞), A deseent, A slope, Pl.(複数形) Sap

『アイヌ英和辞典 2版』J・バチェラー

とあり、sanサン〈下り坂〉の複数形名詞として sapサㇷ゚ が挙げられている。ただし後の4版では sap は動詞sanの複数形として修正されているので、ここの信憑性は少し怪しいところではある。

小樽市手宮の suma-sanシュマサン〈岩が突き出ている〉 と同じように 、chikep-sapチケㇷ゚サプ〈崖が突き出ている(複数形)〉と考えるべきだろうか。これを「坂」と訳すのはだいぶ意訳である。

崖のそば

  • chikep-samチケㇷ゚サㇺ〈崖の傍〉

「崖のそば」。これがもう一つの自説である。

納沙布のさっぷ岬と野寒布のしゃっぷ岬というよく似た地名が宗谷と根室にあるが、『伊能大図』を見ると「ノシャッ」が「ノッシャ」になっている。

伊能大図/宗谷岬

すなわち not-samノッサム〈岬の傍〉が 「ノサッ」に転訛したらしい。(※アイヌ語において sa は サ ・ シャ どちらでも発音する)。

また西区に発寒はっさむがあるが、旧記の表音を見ると「ハッチャ」「ハッシャ」のブレが見られる。おそらく hat-samハッサム〈山葡萄の傍〉の意味であるとは思うが、それがしばしばハッシャと聞き取られることもあったようだ。

それを考えると、chikep-samチケㇷ゚サㇺ が「チケㇷ゚サ」と転訛した可能性は十分考えられるだろう。

samサㇺ は位置名詞であり、位置名詞は通常、名詞のすぐあとに後置する。sapサㇷ゚ を自動詞〈下る(複数形)〉と捉えた場合、なぜ複数形なのかという疑問が拭いきれなかったが、 samサㇺ であればとても綺麗な文法のかたちである。

ただ現地に伝わる音としては「ツキサップ」が強く残っているし、旧記類でも「チキサプ」の形を取っているので、あくまでも可能性の域は出ていない。しかしもしそうだとするなら、現代においてにツキサップがツキサムに改められたことで、むしろ昔の音が復元されたことになるかもしれない。

地球岬との比較

ただ chikep-sapチケㇷ゚サㇷ゚ にしろ chikep-samチケㇷ゚サㇺ にしろ、聞いた人はこう思うだろう。”真ん中の pㇷ゚ はどこに行ったのか”と。

もう一度地球チキウを見てみよう。地球岬は旧記類ではチケウエの形で見える。

地球岬。原名porocikeweポロチケウェ。語源poro-cikepポロチケㇷ゚〈親である・断崖〉:ci-ke-p〈自分を・削った・者〉〈削れたもの(断崖絶壁)〉。cikep → cikew → cikewe と転訛したらしい。「チケㇷ゚」の形が忘れられた結果「チケウ」が新しく語基として感じられそれを土台として第三人称形として「チケウェ」(その断崖)が造られたのであろう。「チケウ」から「チケウェ」になる過程に於いては「チケウレ」(chikewre「削られた」「削れた」)も索引作用として働いたかもしれない。どっちみち、地球岬のチキウはチケウ或いはチケウェの訛である。

『室蘭市のアイヌ語地名 地名の由来・伝説と地図』知里真志保・山田秀三

上記のように「チケㇷ゚」から「チキゥ」に転訛したのであれば、月寒の「チキサㇷ゚」もまた「チケㇷ゚」を語源とした可能性はないだろうか。chikepチケㇷ゚chi-ke-pチ・ケ・ㇷ゚〈自分を・削った・処〉と分解できるので、合成語を形成する段階で最後の pㇷ゚〈処〉が落ちたとしてもそれほど不自然ではない。

あるいは chikepチケㇷ゚ の p の音が残っていた可能性として、松浦武四郎の野帳を見てみよう。彼はこのフィールドノートにおいて、先入観にとらわれずに、現地で聞いた音をそのまま残す傾向がある。

ホロチキンシャフ(小川)

『手控 午第十番手記』松浦武四郎

現地で聞いた音として、チキシャフと記録している。これはキとシャの間に撥音が挟まっていた可能性を示唆している。少なくとも、もし語源が発火機の kisaキサ〈もみぎる〉 であれば、間に撥音ンが挟まれることは無いはずだ。

月寒の地名の意味

というわけで、月寒の由来は

  • chikep-sapチケㇷ゚サㇷ゚〈崖が下る〉
  • chikep-samチケプサㇺ〈崖の傍〉

のいずれかを語源とした合成語の

  • chikisapチキサプ〈坂の斜面〉

であったのではないだろうか。

坂のまち・月寒

ではチキサプの「坂」とはどこにあるのだろうか。

イナヲ坂

安政4(1857)年9月9日に、できたばかりのサッポロ越新道を検分すべく、舟で千歳まで行った箱館奉行一行は、千歳から発寒までを馬で通行した。後の室蘭街道、現在の国道36号線に相当するルートである。そのとき随行した玉虫左太夫は日記を残している。

シマツフ(島松)川を去ること三里余りにて、イナヲ阪と云ふ阪ありて是又屈曲且険馬行叶はざる程なり。

『入北記』玉虫左太夫

島松から三里あまり(12km~)のところに「イナヲ坂」というのがあり、馬では通れないほどの険しいところだったらしい。これが位置としてはちょうど月寒のあたりになる。

アイヌは交通上の危険箇所に木幣イナウを捧げて安全を祈った。全道の稲穂峠とか稲穂山とか稲穂岬といった地名はここから来ているものが多い。イナウを捧げるほどの坂道であれば、かなり危険だったのだろう。それを地名として残しておくには十分な根拠がある。

すなわち、イナヲ坂=月寒だったのではないだろうか。

月寒公園の階段

望月寒

月寒には「月寒川」と「望月寒川」2つの川が流れている。「モツキサム」の mo とは〈小さい〉の意味で、「小さい方の月寒川」という意味だろう。大きい方の月寒川は 「シイツキサム」と呼ばれることもあり、 si とは 〈本流の〉という意味である。 si と mo はよくセットで使われる。

望月寒川と月寒川

望月寒川のほうが西側に、月寒川のほうが東側にある。ところがどうにも逆になっている例がある。

トヱヒラ 通行屋あり。地味至て宜しく此処山中柏栗厚朴多し。

イナヲ坂 ツキシャーブと云ふ渓河あり。此辺桜草多し。

モツキシャーブ 此辺柏木椛多し

『入北記』玉虫左太夫

ツキシャーブがモツキシャーブよりも豊平寄りにあって、現在と逆である。

サッホロ

チキシャフ 小川

ホロチキンシャフ 小川

ラウネナイ 小川

『手控 午第十番手記』松浦武四郎

このメモによると豊平川寄りの望月寒川のほうが「チキシャフ」で、月寒川のほうに「ホロ」とつけている。

ここからすると、やはりチキシャフは川の名前ではなかったように思う。望月寒川のあたりに断崖の坂道があって、これをチキシャフと呼んだのだろう。そこから近くを流れる川名に転じ、水源を辿ると月寒川のほうが長かったので、長い方を「月寒川」、断崖の近くにある短い方を「望月寒川」と呼んだのかもしれない。

興味深いことに国道36号線においては、月寒川に望月橋が、望月寒川に月寒橋がかかっている。完全にあべこべである。

望月寒川にかかる月寒橋

月寒坂

豊平橋を渡って36号線沿いにまっすぐ自転車で走っていくと、望月寒川を越えるところ、月寒橋のところで急な坂道にさしかかる。自転車を漕ぎながら、”なるほど、これが月寒の坂か”と実感した。

月寒坂。ここに一里塚が置かれたという。

坂の途中で「つきさっぷ」という法被を来た人たちが歩いていて、なにかと思ったら月寒神社でお祭りをやっているのであった。ツキサップという地名は地元の人達にもまだまだ親しまれているのだろう。

月寒神社の神輿

坂を上りきると「月寒あんぱん」のお店があったので、「月寒の丘」のお菓子とともに少々お土産を買った。

月寒あんぱん

返す道で「アンパン道路」を通る。月寒村と平岸村を結んだ道路で、開鑿に携わった兵士たちにアンパンが振る舞われたという。

アンパン道路

それから月寒公園に来た。そこには確かに断崖が残されていて、ここが射撃練習場として使われたこともあったという。この干城台に連なる断崖こそが「ツキサム」だったのだろう。

月寒公園のボート池と干城台

月寒あんぱんがとても美味しかったので、また買いに行こうと思う。

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