蘭島の地名と風景

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蘭島は海水浴場だけではない

蘭島といえば何を思い浮かべるだろう。まず蘭島駅のある所。そしてやはり海水浴場。国道沿いにはセブンイレブンがあるので、余市方面に向かうときは寄ることなどもあるだろう。しかし夏に海水浴をするのでもない限りは、そのまま通過してしまうことも多いかもしれない。

蘭島のみどころ

この記事ではそんな蘭島の魅力に迫り、風景の美しい所、歴史を感じるところを紹介していきたい。

畚部岬

恐竜が横たわるかのうような畚部岬
畚部岬の先端と釣り人
畚部坂の上から見た蘭島
岬の上から見た畚部岬の先端

まるで海の上に恐竜の身体が突き出したかのような迫力のある畚部岬。ここが小樽と余市の境になっている。麓の金吾龍神社の由来によると、縄文時代から御神体とされてきたそうだ。

実は岬の上に登ることができる。金吾龍神社の奥院の道は封鎖されていることが多いが、少し横に縄があり、それを伝って登っていくと上がることができ、なかなか素晴らしい景色を眺めることができる。ただし正規のルートではないのでおすすめはしない。

ここにかつて畚部チャシがあり、意地悪な兄妹が石を落としたという物語がある。また坂を登っていたホーレス・ケプロンが落馬して大怪我しそうになったり、東本願寺一行が近道をしようとして岬の下を歩いたところ沈みそうになったなど、色々とエピソードあり面白いところだ。詳しくは蘭島の由来の記事にまとめてある。

フゴッペ岬とは別に「ラヲシュマナイサキ」(蘭島岬)という地名がある。これが畚部岬を指しているのか、別の岬を指しているのかどうにもはっきりしない。寛政年間の西蝦夷地海岸図では別の岬になっているが、どうみても岬は一つしかない。昔はもう少し海岸線が後ろにあったのかもしれない。これについては調べているところである。

三つの環状列石

三笠山環状列石
地鎮山環状列石
西崎山環状列石

畚部岬のある背後の山を西崎山というが、ここに西崎山環状列石というストーンサークルがある。住所的にはぎりぎり余市にあたるが、かつてはここも忍路郡だったことがある。

アイヌにストーンサークルを作る風習はなく、もっと古い人々が作ったようである。フゴッペ洞窟の古代文字もやはり非アイヌの遺跡だ。彼らはコロポックルと呼ばれることもあるが、余市アイヌは彼らのことを「フーイペ(鍋を持たずにナマモノばかり食べるヤツ)」とか、蘭島アイヌは「フウコンベツ(蛇がたくさんいる所)」などと呼んだらしい(違星北斗談)。

そしてこうした環状列石は「コロポックルのチャシ(砦)」と呼んでいたようだ。他にも忍路の三笠山環状列石地鎮山環状列石に同じようなストーンサークルがある。〈ツコタンtu-kotan「廃村」〉という地名も、もしかするとこのコロポックルの集落のことを指していたのかもしれない。

蘭島駅

蘭島駅は塩谷駅と余市駅の間にある無人駅である。

実は鉄道敷設当初は忍路駅になる予定で、今よりもおよそ1.5kmほど東の、忍路土場に駅ができるはずだった。当時は「忍路郡塩谷村」でもあり、忍路は蘭島と比べてまだまだ発展していたのだ。駅も忍路の住民の利用を見込んでいた。だが駅予定地の地主との交渉が難航しているうちに蘭島の現在地の地主が快く招致してしまい、結果的に蘭島駅となった。明治37年~38年のごく短い期間だが一時的に「忍路駅」と改称したこともある。しかしすぐに戻っている。

海水浴場が蘭島にできたのも、この蘭島駅の開業が関係しており、夏になれば多くの海水浴客が蘭島に集った。市街地に駅が近いこともあり、今では忍路よりも蘭島のほうが2倍も人口が多く発展している。もし駅が忍路にできていたら、未来は変わっていたかもしれない。

しかし間もなくこの山線の鉄道は廃止される予定であり、この駅もまた過去の歴史として語られるものになるだろう。

海岸の2つの石碑

北海道海水浴場開設発祥之地
鰊塚

蘭島浜中の海岸には少し離れているが2つの石碑がある。

一つは『北海道海水浴場開設発祥之地』。明治35年の蘭島駅の開業に伴い、翌36年に北海道の初めての海水浴場として開かれたことを記念している。

もう一つの『鰊塚』は、ここが江戸時代からニシンの良漁場だったことを伝える。脇に設置された石板には、「にしんにしんにしん/俺は何時を恋して/五十有余年/恋は果てんとす/今一度群来よ/忍路の海へ/幻の魚」と建立者の歌が綴られている。乱獲により群来が来なくなったことを嘆く歌である。

近年ついに小樽の各地でも群来がやって来るようになり、「今一度群来」を見ることができるようになってきた。大切にしたいものである。

シマベリケの白い崖

シマベリケの崖
波打つような白い崖

シマベリケの崖は蘭島漁港の裏にある、白く波打つ岩が美しい崖である。この特殊な形状は火山活動によってできたようだ。

シマベリケの意味は〈シュマペレケsuma-perke「岩裂け」〉。松浦武四郎は〈シュマペレケsuma-peker「白岩」〉と書いたけれど、これはどうやら誤りのようである。大正時代の字名では「ヒマピンケ」などと書いていたりもする。

忍路の兜岩

蘭島から見る兜岩

兜岩は忍路半島の先端にある兜岬の岩だが、蘭島からも見ることができる。忍路漁港からは一部しか見えないので、この角度なら完全な姿を見ることができる。

余市のローソク岩とセットの伝説があり、こちらが兜ならあちらが剣のようだ。

観音坂にイカサナイ

観音坂

蘭島から忍路に行くには、今はぐるっと国道を遠回りしなくてはならないが、昔はこの観音坂を登って2つの村を行き来していた。ここを忍路峠ともいう。峠の上に「徳源寺忍路観音堂」があり、観音坂という名前はこれに由来している。

アイヌ語地名は尻櫛しりくしsir-kus-iシリクシ「山を通る所」〉とイカサナイikka-sisam-nayイカシサムナイ「盗む和人の沢」〉。後者は昔、和人が運上屋に隠れてここで密貿易をしたことに由来する。

シリクシの方は岬を真っすぐ進んでいき忍路験潮場のあたりで下りる旧道。今は半分廃道である。イカサナイのほうは歩いて通ることはできるが、車での通行はできない。「行かさない」とも聞こえるなんとも面白い地名である。

猫泊

猫泊

猫泊ねことまりとは忍路半島の西側にある小さな入江で、海岸を伝って到達することはできない。ポロマイ岬に向かう小道を進んでいくと、ひっそりとした踏み分け道が分岐しており、そこから猫泊に降りることができる。まるで紅の豚に出てくるプライベートビーチのようで、美しいところだ。ただ私有地だと思われるので、無断でキャンプなどはしないようにしたい。

猫泊は〈ネトトマリnet-tomari「流木の泊」〉に由来し、ここに流木が流れ着いたようだ。隣にポン猫泊もあり、昔ここに自給自足の小屋があったそうだが、今は藪が茂り到達が難しくなっている。

金勢崎の遺跡群

金勢崎は蘭島駅の裏、餅谷沢踏切の奥にある
何かに似ているらしいが…

金勢崎こんせさきは蘭島駅の裏手の崖にある岩のことで、古くは「ネコウセ岬」などとも言い、蘭島村の旧字名の一つであった。『忍路郡郷土誌』によると

昔、生殖器崇拝にちなんで根勢崎と呼び、 淫祠を祭り娼家の参詣が日々絶えなかった。後、根勢が幸仙、 甲勢、或いは雲仙と変遷したが遂に金勢に落着いた。

『忍路郡郷土誌』

とのことである。なおこの崖の下に「蘭島餅屋沢遺跡」があり、多くの土器や石器・住居跡などが発掘されている。縄文の時代からここが蘭島の中心だったようだ。

餅屋沢と七面山

七面山大明神の宝塔
七面山白龍尊神

蘭島駅の裏手の右側に餅屋沢という沢がある。これは安政年間に「餅屋」と称する日蓮宗の熱心な信者がおり、それに由来しているそうだ。餅屋沢の奥にある「七面山妙法寺」には文久三年と書かれた宝塔があり、さらに奥に進むと「七面山白龍尊神」を祀った祠がひっそりとある。

船取山とツブタシ沢

左から、塩谷丸山、船取山、毛無山
船取山山頂付近から見た塩谷丸山と毛無山(右端)

ツブタシ沢とは現在はチプタシナイ沢とも呼ばれており、蘭島川の支流の一つである。〈チプタウスナイchip-ta-us-nay「丸太舟を切り出す沢」〉に由来し、船取山はこれに由来する。

船取山は蘭島の街からよく見える小山で、登山道は無いが、降雪期なら登ることができる。山頂からやや南に下ったところから塩谷丸山がとても綺麗に見えるので、スノーシューがあるなら登ってみるのもいい。登るときは一度ツブタシ沢の奥まで行って、南斜面から取り付くのがおすすめである。

続き:蘭島の由来

ところで、蘭島の地名はどんな由来があるのだろう。実に様々な説があり、これがまた興味深い。その点についてまとめた記事があるので、そちらもご覧いただければ幸いである。→蘭島の地名の由来

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