朝里川温泉の発祥年代と文治沢温泉ついて(備忘録)

備忘録

小樽の奥座敷といえば朝里川温泉だが、一般には昭和29(1954)年に開湯したと言われる。これはいわゆる戦後にあたり、こうしてみると温泉街としては比較的歴史が浅いほうだと言えるかもしれない。

だが「小樽・朝里のまちづくりの会」発行の『小樽・朝里紀行』によると、明治29(1896)年に熊の湯温泉が、明治31(1898)年には松の沢温泉が開湯しているようで、この熊の湯温泉が朝里川温泉の発祥ではないかとされている。

今回発見した史料(『札幌県治類典 明治十七年一月』)はそれよりさらに12年ほど前、明治17(1884)年のものだ。熊碓村字「文治澤」の山地7.620反を両徳町百番地在住の米川和麻呂が「温泉場新設ノ為」として札幌県に借渡しを申請している。これを仮に文治沢温泉としよう。

文治沢温泉の面積は7.620反、2286坪ということは、およそ100m✕75mくらいの敷地だろうか。借受期間は10ヶ年で、明治17年6月から明治27年5月まで。その後明治29年に熊の湯温泉が開かれているが、果たして文治沢温泉はどこにあったのだろうか。

熊の沢温泉と文治沢温泉は同一箇所なのだろうか。熊の湯温泉のある熊の沢は文治沢の上流にあたる。熊の湯温泉の正確な位置もまだわかっていないが、おそらく文治沢の大きな二股の左支流(右岸)先あたりだろう。

文治沢と熊の湯温泉の位置。および明治43年の文治沢の貸出申請者

この左支流だが、熊の沢だけでなく石橋沢とも呼ばれている。明治43年に石橋沢および滝ノ沢の広大な土地を野島・小山・金子といった人物に貸し出されており、このあたりの関係はどうにもわからない。

何よりも謎なのが、「文治沢ぶんじさわ」の地名は、ここで生まれた「内田文治ぶんじ」なる人物に由来するらしい(『いなりの坂』)。だがこの文治少年の誕生は明治28年。それよりも11年も前の明治17年には既に文治沢という地名が出てきているのだから、どこかに食い違いがあるような気がする。

コメント